【ゆっくり文庫】特別編「グリム童話を語ろう」 Lass uns Grimms Märchen besprechen

2017年 ゆっくり文庫 グリム童話 ドイツ ファンタジー 民話・童話
【ゆっくり文庫】特別編「グリム童話を語ろう」
064 どう語ってもいい──

童話は子どもを大人にする触媒。趣旨にかなうなら、どう語ってもいい。「子どもたちが屠殺ごっこをした話(KHM 22a)」、「白雪姫(KHM 53)」

特別編について

グリム兄弟

グリム兄弟
左)次男ヴィルヘルム
右)長男ヤーコプ

 動画内で説明したように、「ヘンゼルとグレーテル」の解説パートが長くなったため、特別編として分離させることにした。特別編は、固有の原作をもたないオリジナルの解説ドラマシリーズとして、小泉セツとボナー・フェラーズを取り上げるつもりだが、グリム童話が先になってしまった。

 内容の大部分は、野村ヒロシ著の「グリム童話―子どもに聞かせてよいか?」に沿っている。この本は、グリム童話に対するマイナス・イメージ──「残酷だ」「空想的だ」「封建的だ」「ナチスに通じる」「非科学的だ」──といった批判に反証をあげ、「子どもに読み聞かせて問題ない」という結論を導き出している。おもしろいのは、グリム童話が残酷で、空想的で、封建的で、ナチスに通じ、非科学的であることを認めたうえで、論を展開するところ。それぞれの批判も具体的で、「そこまで考えなかった」と唸らされた。「なんとなく悪い影響がありそう」なんて意見じゃ、議論が成立しないんだな。
紹介できなかった論点も多いので、興味がある方は図書館で借りてください。

私の主張

 童話(民話)は語り継がれることで洗練されてきたものだから、「本当は○×だった」と原拠にこだわる意味はない。オリジナルには神秘的な効果や意味があると思いこむのは、幻想にすぎない。

 また、ペローやグリム兄弟が書き留めたバージョンを頂点と思い込むのも的外れだ。彼らは彼らの時代に合わせて翻案したわけで、それがそのまま現代社会に通じるはずがない。たとえば200年前は、悪役を実母から継母に変えるほうが適切だったかもしれないが、現代はむしろ実母にもどす方が意味深長かもしれない。

 買ってきた本を子どもにポンと与え、その影響について心配するくらいなら、親が自分の好きなように描写や結末を変えてやればいい。現代人は「物語を勝手に書き換えてはならない」と思い込む習性があるが、その考えこそが子どもに悪い影響を与える。魔女や敵対者の末路が残酷だと言うなら、「どうすればよかったのか」「どんな罰を与えるべきか」、親子で話し合えばいい。

 ・・・という主張を補強するために、「グリム童話―子どもに聞かせてよいか?」の情報を盛り込んだんだけど、うまく整理できなかった。動画に盛り込めなかった私の取り留めのない話を、ここに書き出しておく。

古いものほど完璧だと思い込む習性

 この習性に学術的な名称がないか調べたが、わからなかった。「時間の権威性」と言うべきかな?

 中世の人々は、古いものほど完璧だと思いこんでいた。もっとも古く、もっとも完璧なものは、神である。神の時代から遠く離れた現代は、調和が崩れ、穢れが生じ、叡智が失われている。世界はどんどん劣化していき、やがて終焉する。
 近代以降の人々は、そう考えない。神が創ったものより、人が作ったものが増えたからだ。人が作ったものは、改良を重ねて完璧に近づく。世界はどんどん効率的になる。

 当たり前のことに思えるが、現代にも思い込みは残っている。たとえば老人の言葉をありがたがる根拠はない。
 中世は生存環境が厳しかったため、長生きするだけで特別な資質や加護があると思われた。また情報を記録する方法が乏しかったから、老人の経験情報に依存する割合も多かった。しかし現代で長生きすることは特別ではない。また多くの記録情報があるから、個人の経験則を偏重する必要はない。ましてや変化のめまぐるしい21世紀においては、老人の成功体験がそのまま応用できる領分はきわめて少ない。老人に敬意を払うことと、そこに権威を感じることは別だ。

 童話も同じ。「オリジナルには神秘的な意味や効果がある」と思い込み、「本当は○×だった」という切り口に振り回されるが、学術的な研究でないなら無意味だ。人間が作ったものなら、新しい方が完成度が高くなるのだ。それは過去の作家への敬意と相反しない。

 名前がわからない語り部は純粋で、名前がわかっている作家の不純と考えるのは、不合理だろう。ちなみにドイツでは下記のように分類する。グリム童話はフォルクスメルヘンに分類されているが、グリム兄弟による翻案箇所がわかってきたため、クンストメルヘンでもある。両者を区分することに、どれほど意味があるだろう?

  • フォルクスメルヘン (Volksmärchen) ... 民間メルヘン。口承されたもの。
  • クンストメルヘン (Kunstmärchen) ... 創作メルヘン。詩人や作家の意図による作品。

物語が人物を作る

 物語が人格形成に与える影響はきわめて大きい...と私は思うんだけど、このあたりを定量的に調査した論文はないだろうか? 以下、根拠なく論じる。

 たとえば好きな異性にアプローチするとき、私たちは無意識に物語を手本にしている。欲望に流されるにしても、プラトニックに踏みとどまるにしても、物語をなぞった行動が多い。困ってる人を助けるか? 誰も見てないところで悪いことをするか? 裏切り者をゆるすか? 第一に理性で判断するが、どうしていいかわからないとき、人間の行動は読んだ物語に左右される
 2005年08月24日放送の「トリビアの泉」で、こんなトリビアの種があった。

街で女性がからまれた時「電車男」のように助けてくれる秋葉原の男性は100人中 [ 69 ] 人

 弱々しいイメージがあるオタクだが、なんと7割もの男性が女性のピンチを助けようとした。チンピラ役を組み伏せるコスプレ男性もいた。彼らオタクの脳裏に、ヒーロー的な物語がよぎったことは想像に難くない。同じ実験を永田町あたりであれば、助けようとする男性はもっと少なくなっただろう。

トリビアの泉:街で女性がからまれた時「電車男」のように助けてくれる秋葉原の男性は100人中 [ 69 ] 人
※アニメや特撮を見ているオタクの方が倫理観が高いのでは?

民族と民話

同じ物語(民話、童話、伝承、神話)で育った人間が、同じ民族になると私は思う。

 19世紀の日本は識字率が高く、交通網が発達していたことから、同じ民話が全国的に語られていた(例:皿屋敷伝説)。これが日本民族の同一性を培った背景にあると思う。またラフカディオ・ハーンが日本文化に深く馴染めたのは、彼が来日前に多くの民話を研究していたからだと思われる。

 現在はどうか? 現代日本人は民話を読まないが、その影響を受けたアニメや特撮、小説、映画を浴びるように観ている。たとえば東映のスーパー戦隊には歌舞伎文化が色濃く残っている。こうした娯楽作品に触れて育ったことから、日本人の同一性が保たれているように思う。

 グリム童話は聖書に並ぶほど広く世界で読まれているから、それだけ多くの人が共感できる要素を含んでいる。なので子どもに読み聞かせるのにちょうどいい。もちろんグリム童話の要素を受け継いだ娯楽作品でもいいが、現代の商業作品はすぐ忘却されるため、世代間のギャップが生じやすい。また不適切な要素(残酷な表現、理不尽な構造、思想的な偏り、虚偽)が交じる恐れがあるので、グリム童話のほうが確実だろう。

「パーマン」て何だよ
※パーマンを知らない主人公が馬鹿にされる(ジョジョの奇妙な冒険 第4部)

民話の比較文化論

 余談。感覚的な話で申し訳ないが、日本民話は西洋民話(ペロー童話やグリム童話など)に比べ、アンハッピーエンドが多いように思う。にもかかわらず日本人は、微笑みの民であった。19世紀末、日本を訪れた西洋人は一様に日本人の笑顔の多さに驚いている。一方、日本人はお雇い外国人の顰め面に戸惑っている。

この国の人々の飾り気のなさを、私は賛美する。
いたるところに満ちている子どもたちの笑い声を聞き、どこにも悲惨なものを見いだすことができなかったわたしは、西洋の人々が、西洋の重大な悪徳を日本に持ち込もうとしているように思われる。

ヒュースケン(ハリスの通訳 1856-1861駐日)

日本人ほど愉快になりやすい人種はほとんどあるまい。
良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。
そして子どものように笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。

リンダウ(駐日スイス領事 1861-1862駐日)

日本人は明らかに世の中の苦労をあまり気にしていない。
西洋の群衆にみられる心労にうちひしがれた顔つきなどまったく見られない。
老婆から赤子にいたるまで、にこやかに満ちたりている。

ディクソン(工部大学校講師 1876-1879駐日)

 ハッピーエンドで育った民族(西洋人)と、アンハッピーエンドで育った民族(日本人)の文化的なちがいについて、だれか研究論文を書いてくれないかな?

【ゆっくり文庫】のポリシー

 物語は、もっと自由に語っていい。
 お察しのとおり、これは【ゆっくり文庫】のポリシーでもある。私は原著に敬意を払っているが、「文豪が書いたものだから一字一句変えてはいけない」とは思わない。物語はアップデートされるべきだ。文豪が現代に生きていたら、きっと同じように改定したはず。そのくらいの気持ちで翻案している。
 ...という話も盛り込みたかったが、できなかった。

動画制作について

 動画制作の話──。
 基本的には番外編と同じフォーマット。試験的に「区切り」をなくしてみたけど、あった方が頭の切り替えができたと思う。15分ギリギリになったため編集できなかった。やはり15分の制約は厳しい。
それからテーマを都度、画面中央に表示してみた。「カシャッ」というシャッター音が気持ちいいが、論じたことのまとめに使うべきだったかもしれない。試行錯誤がつづく。
 一方、【ゆっくり文庫】の霊夢と魔理沙のキャラクターは固まってきた。ホームズ&ワトソンの転用だが、いい感じ。

キャラクターの縁取り

 ゆっくりキャラの輪郭が細くて見づらいと思っていたので、縁取りしてみた。Photoshop のレイヤー効果、光彩(外側)、描画モード[通常]、不透明度[75%]、色[黒]、サイズ[10px]にしてみたが、どうだろう?
 きめぇ丸など一部のキャラは、フレームいっぱいに顔があるため縁取りが切れてしまう。面倒だが、サイズを少し拡大するか。

特別編「グリム童話を語ろう」
※キャラクターの縁取り

子どもたちが屠殺ごっこをした話 (KHM 22a)

 難しいテーマである。ドライに考えれば、「友だちを屠殺した子が、まっとうな大人になるわけがない。死刑にするほうが本人のためだ」とか、「友だちを屠殺しても無罪になると、子どもが誤解する恐れがある」といった結論に達する。しかしそんなこたぁ語り部たちも、グリム兄弟も知っていたはず。中世における子どもの生命は、現在とは比べ物にならないほど軽かった。だのになぜ、悪意なき犯罪を犯した子どもたちを処罰しなかったのか? 処罰しない物語を語り継いだのか? 悪意なき犯罪を処罰すると、どんな弊害があるのか?
 あいにくこの童話はそこまで語ってくれない。ゆえに、物足りない。ゆえに、童話としての完成度が低い。グリム兄弟が削除したのも頷ける。
 ちなみに本作は2話構成で、KHM 22b がある。こちらも救いがない話で、いっしょに削られてしまった。

 殺される豚役は罪袋で即決したが、ほか4人が決まらない。いつもの配役ならチルノと大妖精だが、イメージに合わない。ルーミアは食人という問題を引き起こす。悩んだ末、フラン、こいし、ちぇん、芳香という微妙な組み合わせになった。みんな妖怪じゃんか。

特別編「グリム童話を語ろう」
※無垢な子どもたち?

ゆっくり文庫版:古明地こいし
※ゆっくり文庫版:古明地こいし 髪をうすい緑に、瞳孔を白くした

ゆっくり文庫版:宮古芳香
※ゆっくり文庫版:宮古芳香 死体っぽくした

狂気のさなえ、困り顔のきめぇ丸
※狂気のさなえ:ラリった蛙と蛇/困り顔のきめぇ丸

 背景は写真だったが、「白雪姫」でMinecraft背景を使ったので、こちらも揃えた。殺人があった厨房は新規に建築したもの。大人たちが話す村長の家は、「美女と野獣」のベルの家である。

「美女と野獣」のベルの家を使いまわし
※「美女と野獣」のベルの家を使いまわし

動画制作について「白雪姫」(KHM 53)

 退屈だろうと思いダイジェストにしたが、全編制作してよかったかもしれない。「白雪姫」を題材とした映像作品は多いが、女王が実母で、「変わらないことで勝利する」というテーマを掲げたものは見たことがなかった。
 白雪姫は黒髪だから、魔女(八意永琳)と白雪姫(蓬来山輝夜)と考えていたが、馴染みやすい文庫劇団から魔女(早苗)と白雪姫(チルノ)となった。もちろん「番町皿屋敷」からの連想だ。嫉妬に狂う早苗が、マイペースのチルノを殺せない展開はおもしろかったかもしれない。

 動画内で説明したとおり、原著と異なる訳がちらほらある。「肺と肝を持ち帰る」「塩ゆでにして食べる」が消されたのは、一般受けしないと判断されたせいだろう。

マイペースな白雪姫

 1937年公開のディズニー映画『白雪姫』の白雪姫は、びっくりするほどマイペースなプリンセスだった。最初の印象は「図太い女」だったが、いろんな知識や経験を踏まえてみると、これ以上は考えられないほど完成されたプリンセスに思えるようになった。
 昨今、ディズニーは女性団体の執拗な攻撃を受け、行動的で、男性の支援を必要とせず、結婚をゴールとしないプリンセスを模索しているが、ディズニー・プリンセスの第一号である白雪姫が、自発的な行動を一切せず、男たち(狩人、7人の小人、王子)の支援を受けて幸福に至っているのはおもしろい。

白雪姫
※ディズニー版は継母で、肺と肝を箱に入れて持ち帰るよう命じる

母親の変化が見えない

 グリム童話の主人公の多くは、本人に落ち度がないのに迫害される。白雪姫も、母親の望みに従ったのに嫉妬される。女王が心変わりした経緯はまったく描かれない。彼女はなぜ変わってしまったのか? そのあたりが気になってしまうのは現代人の習性だろうか。
 それはそうと「鏡」っていいアイテムだな。おもしろいよ。

ゆっくり文庫:白雪姫
※娘に嫉妬する女

ゆっくり文庫:白雪姫
※白雪姫が怒り、憎み、妬んでいたら、いずれ魔女になっただろう

背景を転用する

 せっかくなので「美女と野獣」の御殿を、女王の城に転用した。ランタンを除去して撮影しなおした。御殿は内装も作られており、「ベルの部屋」を「女王の部屋」に改造した。鏡も「美女と野獣」から流用。こうしてみると、童話の素材はどんどん蓄積できるかもしれない。
 ちなみに「女王の部屋」は、女王のSAN値とともに変化する。これは部屋を上下に重ね、/tp コマンドで移動しながら撮影した。

ゆっくり文庫:白雪姫
※「女王の部屋」は、女王の状態に応じて変化する

ゆっくり文庫:白雪姫
※McEditの作業画面。こんなんで意味がわかる人はいるのかな?

雑記

 まとまった時間を確保できず、同じところを何度も修正して、疲れ果てた。まだ納得できてないが、これ以上時間をかけたくないので公開する。解説動画って、難しいな。

 私自身は両親にグリム童話を読み聞かせてもらった記憶はない。ただ弟や従兄弟に請われ、話をしてやったことが何度かある。それも布団の中で、即興で考えながら話すのだ。支離滅裂なんだけど、喜んでもらえると嬉しくなって、さらに頭が回転した。小学生になると、映画や特撮のあらすじを話すことが増えた。いま、この文章を書きながら思ったけど、私のストーリー中毒はこのへんに起因しているのかもしれない。

公開後の雑記

 コメントから見えてきた反省点をまとめておく。

[00:53] 国旗のまちがい

 ドイツ連邦の地図でプロイセン王国とオーストリア帝国の国旗が逆になっていた。こういう凡ミスはなくならない。つらい。

ドイツ連邦
※ドイツ連邦:正しい地図

[6:20] 新しいほど完成度が高い(学術的な価値を除く)

 「人間が作ったものは、新しいものほど完成度が高くなる」と述べたが、例外があると指摘され、それは本旨ではないと反駁するコメントの応酬となった。「童話を娯楽や教育ツールとして考えた場合」と「学術的な価値は除く」という注釈をつけるべきだった。こうした解説動画で「カラスは黒い」と言えば、「白いカラスもいる」と突っ込まれるのは当然のこと。論の展開が拙速だった。

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