【ゆっくり文庫】特別編「グリム兄弟の足あと」 Auf den Spuren der Brüder grimm (2017)

2017年 ゆっくり文庫 グリム童話 ドイツ ファンタジー 民話・童話
【ゆっくり文庫】特別編「グリム兄弟の足あと」
068 メルヘンに国境はないんだよ──

グリム童話を著したグリム兄弟は、どんな人物だったのか? ざっくり振り返ってみましょう。

特別編の特別編

グリム兄弟

グリム兄弟
左)次男ヴィルヘルム
右)長男ヤーコプ

「ヘンゼルとグレーテル」を制作するさい仕入れた知識で、特別編「グリム童話を語ろう」を作ったが、まだネタが残っている。「白雪姫:現代人視点」とか「赤ずきん:子ども視点」といった切り口もあるが、まずはストレートに、グリム兄弟の生涯をまとめることにした。

断っておくと、私はドイツに詳しいわけじゃない。本で読んだことをまとめているだけだ。

グリム兄弟は、ドイツの文化史における精神の巨人として知られている。素晴らしい逸話がたくさん残っているが、私が受けた印象は「グリム兄弟は美化されている」だった。それは捏造された英雄という意味ではない。グリム兄弟の学術的功績は大きく、彼らが良心に生きたことも事実だろう。しかし後世の人によって、ことさら強調されたように感じる。
おそらく戦争で負け続けたドイツ人には、グリム兄弟のように善良で、知的で、平和的な英雄が必要だったのだ。それはグリム童話が「ドイツが誇るべき生粋の民話」と信仰されたことに似ている。英雄は、それを求める民衆によって作られるのだ。

グリム兄弟の素顔に...迫らない

しかし本作は、グリム兄弟の「素顔」に迫ることなく、ストレートに善性を描くことにした。理由は下記の通り。

  • 知識量が足りない。 ... もうちょい本を読まないと、うまくまとめられない。
  • グリム兄弟や当時のヨーロッパ情勢を知らない視聴者が多い。 ... いきなり変化球で、誤解される。
  • 15分で完結しない。 ... 結局オーバーしたけどね。

この編集後記には、「使わなかった変化球のネタ」や「尺の都合でカットされたシーンや情報」を書き出しておく。こんなところを読むような物好きなら、「夢を壊された!」と怒ることもないだろう。

歴史ドラマの難しさ

再現ドラマ風にエピソードを紹介しているが、会話パートは99.9%、私の創作である。また史実と異なると知りながら、あえて翻案したところもある。なので本作は史実に基づくフィクションと思ってほしい。大河ドラマみたいなものだ。
しかしフィクションであっても、史実と異なる点や、荒唐無稽な翻案があれば腹が立つ。まして私は門外漢だから、意図せずウソをつく可能性もある。ご指摘いただければ、第2版で対応したい。しかしコメントに書くと荒れるので、メールかツイッターで知らせてほしい。その場合、典拠を示してください。

【ゆっくり文庫】は投稿するたび、「原著とちがう!」と憤慨する人がいる。今回も「史実とちがう!」と憤慨する人がいるだろう。あるいは「おまえが気に入らない!」と怒る人がいるかもしれない。誤字脱字やミスには対応したいが、好みの問題はどうしようもない。どうしようもない問題には、対応しない。

もう一度、断っておくと、本作は史実に基づくフィクションである。歴史の教科書や、ドキュメンタリーではない。本当のこと──いま現在、史実とされている事柄については、自分で確かめてほしい。
本を読んだら、まず疑うこと。これ、大事。

参考書籍

第1章:少年期 - 貧乏への転落

ヤーコプとヴィルヘルムの幼少期は、満ち足りていた。シュタイナウの屋敷は大きく、何人もの召使いがいて、何不自由なく育てられた。近くにあった豊かな森も、兄弟の想像力を刺激したと述懐している。
1796年、父フィリップが肺炎で急死すると、グリム家は貧乏に転落する。41歳で6人の子を養うことになった母ドローテアの苦労が忍ばれる。下の兄弟たちは学校へ行くこともできず、幸福な思い出もなかった。ヤーコプとヴィルヘルムが立身出世にかける意気込みは、相当なものであっただろう。
このころヤーコプが祖父に書いた手紙は、年齢不相応に落ち着いており、不幸がヤーコプを成長させたことが伺える。動画では、まずヤーコプが奮起し、ヴィルヘルムが続くよう演出した。そうだったと示す歴史的資料はないが、そうだっただろうと思う。

特別編「グリム兄弟の足あと」
※不幸がヤーコプとヴィルヘルムの成長を加速した

学校生活

貧乏だった兄弟は、学校でいじめられた。とりわけ教師による不公平な扱いが、ヤーコプを深く傷つけた。ヤーコプはフランクフルト国民議会という晴れ舞台においても、このときの経験を話して自由の重要性を訴えた。フランス式の平等ではなく、ドイツ式の自由を求めるところに、ヤーコプのオリジナリティがあるそうだ。イジメや奨学金の問題はヤーコプの人格形成に大きな影響を与えたが、細かく描かないことにした。復讐の物語にしたくない。
兄弟が2部写本して、1部を売って学費の足しにしたのも有名なエピソード。おそらくマールブルグ大学の出来事だろうが、年齢を伏せて「学生時代の出来事」とした。

特別編「グリム兄弟の足あと」
※兄弟でも性格はだいぶちがう

兄弟の性格を早めに描きたかったため、自室のシーンを描いた。ヤーコプはかなり攻撃的な性格で、論敵には誹謗も辞さず、徹頭徹尾挑戦的だった。恩師サヴィニーとも、のちに対立している。だのに国際会議の代表者に選出されているから、ヤーコプには人間的な魅力があったのかもしれない(政治力が強かった可能性もある)。

兄弟愛は控え目に

ヤーコプがヴィルヘルムに示す愛情は、ちょっと常軌を逸している。有名なのは下記の手紙。

親愛なるヴィルヘルムよ。
ぼくらは決して離れ離れになるまい。
もし人が一方をどこか他の場所へやってしまおうとしたなら、
そんな申し出はもう一方が直ちに断るべきだろう。
二人で一緒にいることにあまりにも慣れ親しんでいるので、
ぼくは一人になるだけで死ぬほど気が滅入ってしまうかもしれない。

ヤーコプからヴィルヘルムへ 1805年7月12日(ヤーコプ20歳)

この年の1月、ヤーコプは自分の意志で、サヴィニーの助手としてパリ旅行をしたが、ちょっと離れ離れになっただけでこの体たらく。次に自分が行くと決めても、弟に止めてほしいとたのむあたり、もうダメダメ。大人になっても変わらず、ヤーコプは大学の講義中にヴィルヘルムのことを思い出して中断。「申し訳ない。弟の秒所が気になってしまって...」と、生徒に謝ることもあった。
こうしたエピソードも多いが、「弟に依存してる」という印象は好ましくないため、さらりと流した。

童話にたとえる

ヤーコプが人生の決断を童話にたとえるクセは、もちろん私の翻案だ。ちょくちょく出そうと思っていたが、2回だけになった。
「ブレーメンの音楽隊」(KHM 27)は、この動画全体にかかるテーマになっている。動物たちはブレーメンで音楽隊になるため結束するが、ゴールに到着しないまま幸福となる。グリム兄弟は法律家になるため勉強したが、言語学・文献学の教授となり、童話作家として後世に名を残した。成功は結果であって、目的じゃないのだ。
ゲッティンゲン大学では「がちょう番の女」(KHM89)の話をするつもりだったが、あまり有名じゃないので「ヘンゼルとグレーテル」(KHM 15)に変えている。

特別編「グリム兄弟の足あと」
※童話が生きる手本になっている

兄弟の父親フィリップ・グリムもまじめな人物で、「正しく生きれば間違いなし」(Tute si recte vixeris)というのが座右の銘だったらしい。しかし44歳で急逝した人物であり、彼の人柄を示すエピソードも見当たらなかったので、言及しなかった。「グリム兄弟の両親なら、さぞや立派な人物だろう」という期待感から生じた逸話かもしれない。

幕間 - 魔理沙の乱入

初号に魔理沙の登場シーンはなかった。しかし視聴者が意味を考える時間がほしかったため、幕間を挿入することにした。幕間は便利で、ドラマでは言及しづらいテーマを強調できるし、時系列を超えてエピソードを紹介できた。

特別編「グリム兄弟の足あと」
※幕間(まくあい)=芝居の演技が一段落して幕をおろしているあいだ。芝居の休憩時間。

困ったのは霊夢の口調。幕間があとから追加されたため、本を読むときの「です・ます調」と、魔理沙と話すときの「だ・である調」のズレが生じた。すべて「だ・である調」に揃えるか迷ったが、落差があるのもよいと考え、そのままにした。

童話作家の妻

ヘンリエッタ・ドロテア・ヴィルト
※Henriette Dorothea (Wild) Grimm (1793-1867)

ヴィルヘルムが結婚したヘンリエッタ・ドロテア(ドルトヒェン)・ヴィルトは、じつに興味深い女性だ。あまり資料がないため、私の理解がまちがっている恐れもあるが、ざっくりまとめると下記の通り。

1805年、カッセルに移り住んだグリム家のとなりに、ヴィルト家という薬剤師の一家があった。ドイツで薬剤師は医師と並んで社会的地位の高い職業である。ヴィルト家には4人の娘がいて、妹ロッテの友人であった。出会ったとき、ヴィルヘルム19歳、ヘンリエッタ12歳だった。
グリム兄弟はヴィルト夫人と娘たちから、30あまりのメルヘンを提供してもらう。ちなみにヘンリエッタも語り部の1人に数えられている。12歳で民話の語り部だって? 小泉八雲のそうだが、作家は語り部の女性に魅了されるのだろうか?
ヘンリエッタの父、ルードルフ・ヴィルト(1747-1814)は暴君で、ヘンリエッタを殴って使役した。姉たちが嫁いだあとも自分の看病をさせた。父の死後も、結婚できなかった。ヴィルヘルムも極貧だったから、結婚を申し込めなかった。
20年にわたる秘密の交際を経て、ヴィルヘルム39歳、ヘンリエッタ32歳で結婚する。ヴィルヘルムがゲッティンゲン大学に招聘される前だから、相当な覚悟があったのだろう。晩婚だが、3人の子をもうけた。息子のヘルマン・グリムは文学研究者となり、ベルリン大学(フンボルト大学)で教鞭を執った。

ヴィルヘルム・グリム
※ヴィルヘルムの家族

20年の交際期間で、ヘンリエッタはヴィルヘルムの厄介な兄、ヤーコプのことを十分理解しただろう。ヤーコプからヴィルヘルムを引き離すのは不可能だから、両方を受け入れるしかない。そのための準備期間とすれば、20年は長くないのかもしれない。

さらに妄想する──。ヘンリエッタは寡黙で、家を守る女性だったのではないか? 彼女に恋したヴィルヘルムは、そのイメージを童話のヒロインたちに反映した。たとえば「白雪姫」(KHM53)は、版を重ねるたび白雪姫の印象が変わっていく。これは古代から受け継がれてきた美徳ではなく、ヴィルヘルムの理想像ではないだろうか?

...といった話は長くなるので、ここで終了。

第二章:青年期 - 童話の出版

グリム童話の出版と、当時のヨーロッパ情勢は切り離せないが、細かく説明できない。当初はナポレオン戦争に注目していたが、むしろ重要なのはそのあとの展開だった。今回の動画制作で、けっこう苦労したところだ。

特別編「グリム兄弟の足あと」
※ナポレオンに蹂躙されてしまう
特別編「グリム兄弟の足あと」
※ドイツ連邦が成立するが、統一できない

列強の脅威にさらされ、国家統一を急いだドイツの事情は、幕末の日本と重なる。ドイツの統一を妨げたプロイセン王国とオーストリア帝国の対立も、日本の薩摩藩と長州藩の対立を彷彿させる。日本は志士たちの働きで内戦を回避できたが、ドイツは統一戦争に突入した。

グリム童話の出版について

当時ドイツはナショナリズムの高揚を受けて、ロマン派が民話や民謡の発掘を進めていた。すなわちドイツ人は「守るべき文化」「誇るべき民族の宝」を求めていたわけだ。こうした中で、1806年、ロマン派の詩人ブレンターノとアルニムによる民謡集『少年の魔法の角笛』が刊行された。グリム兄弟は、民話の収集を手伝っており、ブレンターノとアルニムの再話法を学んだ。
こうした経緯を説明すると、グリム童話の話に戻ってしまうため、ばっさりカットされた。

グリム兄弟の年表
ヤーコプ 出来事
1802年 17歳 ヤーコプ、マールブルグ大学でサヴィニーと出会う。
1804年 19歳 サヴィニー、妻の兄であるクレメンス・ブレンターノをヤーコプに紹介する。
1806年 21歳 ブレンターノとアルニムが『少年の魔法の角笛』を刊行する。
1807年 22歳 ブレンターノ、親友アヒム・フォン・アルニムをヤーコプに紹介する。
グリム兄弟、最初の出版物を刊行する。
アルニムとブレンターノ、『少年の魔法の角笛』の続編を書くため、民話の聞き取り調査をグリム兄弟に依頼する。
1810年 25歳 グリム兄弟、初期の成果である49篇をブレンターノに郵送する。
ブレンターノ、『少年の魔法の角笛』の続編を書く気がなくなり、企画は立ち消え。おまけに草稿を紛失してしまう。
1812年 27歳 グリム兄弟、写しをもとに原稿を書き、『子供たちと家庭の童話』の第1版を出版する。
1893年 死後30年 アルザスのエーレンベルク修道院で、ブレンターノが紛失した草稿が見つかる。これは「エーレンベルク稿」(Ölenberger Handschrift)と呼ばれ、グリムによって加筆修正された刊本との比較研究するための基本資料となっている。

サヴィニーも割愛

フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー
※Friedrich Carl von Savigny (1779-1861)

フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーは、近代私法(民法・国際私法)の基礎を築いた法学者である。1802年、ヤーコプはマールブルグ大学でサヴィニーの歴史法学の方法論に感銘を受け、門人となった。ヤーコプが17歳、サヴィニーも若干24歳だった。

サヴィニーと出逢ったことで、ヤーコプはゲルマン法・ゲルマン言語などのゲルマン研究に没頭し、民話に魅了されていく。またサヴィニーはブレンターノを紹介することで、兄弟に出版へ道を拓いている。つまりサヴィニーがいなかったら、グリム童話は出版されなかった。まことに重要な人物である。
しかしドラマが複雑化したため、登場シーンすべてがカットされた。ちなみに演じていたのはパチュリー。だからヴィルヘルムの家族にパチュリーがいないのだ。

意図的な翻案

ここで少しグリム童話の翻案について述べておく。1819年の第2版の序文で、兄弟はこのように語っている。

収集の仕方に関して言えば、史実であり真実であることを第一に考えた。
私たちはなにも手を加えず、言い伝え自体の状況や特徴を美化したりはしなかった。
そうではなく、その内容を、私たちが聞き取りしたとおりにここに掲載するものである。

しかしすでにご承知のとおり、グリム童話は翻案されている。生粋の民話が、45年間、第7版にわたって改訂されるはずがない。エーレンベルク稿の発見により、初版から改変があったことも判明した。そもそも文献学を修めた兄弟が、聞き取り調査の対象や日時を書かなかったのは不自然だ。おまけにフィーマンおばさんの銅版画を掲載し、「素朴なドイツ人農夫の語り部」というイメージを広めている。「素性を知らなかった」とは思えない。

つまりこれらは、本を売るための演出なのだ。

当時、ドイツ人は「守るべき文化」を求めていた。フランス、ロシア、イギリスに誇れる「民族の宝」を探していた。多くの先達が、芸術的に改変した民話を出版していた。ブレンターノとアルニムによる『少年の魔法の角笛』も、めちゃくちゃ改変されている。グリム兄弟は、簡潔で、飾り気のない、オリジナルに近いメルヘン集を発表したが(第1版)、まったく売れなかった。そこで第2版からは(19世紀の)現代人の好みに合うよう、積極的に改変した。それでいて、その事実は伏せられた。

センスとスキルが向上すると、童話はいっそう魅力的になった。グリム兄弟の知名度が高まると、さらに売れた。「偉い民俗学者が書いた童話集」という誤解も広まった。だれもが「生粋の民話」と信じて疑わなかった。その魔法が解けたのは、つい最近である。

21世紀に生きる私たちの感覚で言うと、詐欺であり、ペテンであり、インチキに見えるかもしれない。兄弟に「名を売ろう」という野心がなかったとは思えない。しかし兄弟の愛国心にウソがあったとは思えない。善良であれば評価されるわけじゃない。グリム兄弟は善良だが、とても賢かったと思う。

特別編「グリム兄弟の足あと」
※動画はきれいごとでまとめている

といった視点を盛り込むと長くなってしまうため、全部カットした。動画では、第2版の刊行時にヤーコプがヴィルヘルムと議論しているが、こんな話は初版のときに話していただろう。わかりやすさを優先した翻案である。

第三章:壮年期 - 良心に生きる

グリム兄弟はさまざまな分野で多くの業績を残した。彼らはゲルマン系言語の研究と、中世文学の原典批判版編集を通じて、ゲルマニスティーク(独語独文学)という新たな学問を築いたのだが、私自身が理解できていないため、まったく触れていない。なので壮年期は、ヤーコプの政治活動がクロースアップされる。これも多様な解釈が可能だが、まぁ、ストレートな美談として描いた。

ゲッティンゲン七教授事件

この事件こそ、グリム兄弟の名を高めている。「貧乏から這い上がった教授が、良心を曲げることができず、追放された」と賞賛されているが、ヤーコプには「失うものより得るものが多い」という計算があったと思う。しかし良心に基づく行動であったことにもウソはないだろう。このあたり、人間のおもしろさを感じる。
政治的パフォーマンスと思っているので、「学生たちの抗議運動」や「その後の象徴化」については触れなかった。

特別編「グリム兄弟の足あと」
※彼らが善良で、貧乏を恐れなかったのは事実だろう

ドイツ語辞典の編纂

これもグリム兄弟を象徴する大事業だ。ぶっちゃけると、追放されたヤーコプへの支援金を、「ドイツ語辞典の編纂作業への報酬」として受け取っていたらしい。だから終わる見込がない事業だった。さいわい4年後、兄弟はベルリン大学に招聘されるが、編纂作業はその後もつづけられた。死後は学者たちが引き継ぎ、123年かけて完成させてしまうところがおもしろい。
ドイツ語辞典は読み物としておもしろいそうだが、私はドイツ語が読めないため、そこまで語らなかった。

特別編「グリム兄弟の足あと」
※ヤーコプはルートヴィヒのもとに身を寄せた(没カット)。

特別編「グリム兄弟の足あと」
※ドイツ人の気質なのかねぇ。

フランクフルト国民議会

天沼春樹氏の文書に、

西ドイツであたらしい憲法ができたとき、その前文には百年近く前のヤーコプ・グリムの提案とそっくりそのままの文章が使われていたのです。

と書かれていたが、具体的にどの箇所か特定できなかった。ドイツ語と法律がわかる人、教えてください。そもそも西ドイツ憲法(ドイツ連邦共和国基本法)は特殊な状況で成立したから、期待するほど関係ないかもしれない。しかしヤーコプの理念が現代に生きていることを表現するため採用した。

特別編「グリム兄弟の足あと」
※ヤーコプの演説は難しく、動画にできなかった。

しかしフランクフルト国民議会でヤーコプが憲法草案を提案したこと、自由の重要性を訴えたことは、記録として残っている。その精神を完全に理解することはできないが、ヤーコプの人生が凝縮されているように感じた。

どこのだれであろうと、ドイツに留まって、同じ言語、同じ法律、同じ物語を共有するなら、ドイツ人となる。

この草案が採用されていたら、ドイツ帝国の躍進はなかったが、アウシュヴィッツ強制収容所が造られることもなかっただろう。


最後に、この動画に盛り込めなかったヤーコプの言葉を紹介しよう。

自然科学者は、小さなものを大きなものと同じように丁寧に観察する。
もっとも小さなものの中に、もっとも大きなものの証拠が含まれているからだ。
だとすれば歴史や詩が、どれほどちっぽけに見えようとも、
その中にはかつて人々を突き動かしたあらゆるものが含まれていて、
観察できるはずではないか。

1852年 - ヤーコプ(67歳)

雑記

グリム魂
※グリム魂

エピソードを映像化するのはいいが、つなげて、「流れ」を作るのは難しい。
本作の基本構成は、「貧乏に転落したグリム兄弟ががんばって成功するが、ゲッティンゲン七教授事件で失職。そこから人々の信頼を得て復帰。フランクフルト国民議会で演説する」というものだが、私は貧乏を強調したくないし、演説を映像化できなかったため、切れ味が悪くなったかもしれない。

もっと勉強してから動画制作するべきだったかもしれないが、それじゃ前に進めない。小泉セツの特別編を完成させるためにも、ここで経験値を稼いでおきたかった。

今回は「流れ」に合わなかったため、削られたシーンが多い。ちゃんと作ったものを捨てるのはもったいない。特別編の特別編の特別編で、公開すべきだろうか。

カットされたシーン カットされたシーン
カットされたシーン カットされたシーン

15分の制約を無視して、いくつかパートに分ければ、ただ善良なだけでないグリム兄弟の素顔に迫ることができたかもしれないが、正直、そんな長尺の動画を扱うのは避けたい。でも、やってみたいテーマではある。評判がよければ、再挑戦できるかもしれない。あるいは、もっと詳しい人に作ってもらいたい。

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