創作  2017年10月12日(木)に書いた ゆっくり文庫

【ゆっくり文庫】森鴎外「阿部一族」

【ゆっくり文庫】森鴎外「阿部一族」

うしろの正面、だぁれ?

原作について

森鴎外

森鴎外
(1862-1922)

本作は、執筆された当時の世情を踏まえて読んでもらいたい。

大正元年(1912年)9月13日──。
森鴎外(50歳)は明治天皇の大葬に出席した帰り、乃木大将の殉死の報を受ける。陸軍軍医総監(中将相当)を勤めた森鴎外は乃木の心中を察し、その死を悼んだ。

ところが新聞は乃木の殉死を否定的に報道、遺書の一部を改ざんする。殉死は「前近代的行為」と冷笑する風潮が起こった。こうした流れを諌めるべく、夏目漱石は『こゝろ』を、森鴎外は『興津弥五右衛門の遺書』を発表した。

しかし・・・森鴎外は考える。

軍人として、殉死を理解したい。無私の心が国難を救ってきたから。
医者として、殉死を否定したい。死んで花実が咲くものか。

一年後、森鴎外は『阿部一族』を発表。実際にあった阿部一族の反乱と、その顛末を記録した『阿部茶事談』を下敷きにした歴史小説である。森鴎外の思想や主義は抑えられ、淡々と、殉死がはらむ問題を描いている。

私の感想

殉死は必ずしも忠誠心の発露ではなく、さまざまな打算が働いていた。また周囲からの圧力、期待感、教育も作用するから、個人の問題とはいえない。
殉死は、社会に殺された被害者かもしれないが、同時に加害者ともなる。近くで殉死者が出ると、なぜ止めなかったのか、なぜ自分は生きているのかと混乱させ、さらなる悲劇を巻き起こす。感染すると言ってもいい。
人の死を笑うな。讃えるな。ただ黙祷、あるのみ。

しかし声が大きい人が存在するのも、悲しい現実だ。黙ったままでは、彼らを諌めることはできない。森鴎外の複雑な思いがしのばれる。


さて、ここから先は原作を読んだ前提で話す。史実と古文書(阿部茶事談)と古典(阿部一族)と創作(ゆっくり文庫)が錯綜するから、原作は読んでおくことをオススメする。

史実「阿部一族」

動画制作のため原作を読み返したら、殉死の日付がおかしいことに気づいた。あれこれ調べてみると、史実と異なる点が多いと判明した。なぜ史実と異なるのか考えたら、いろいろ背景が見えてきた。
作品を楽しむのに必要な知識じゃないから、「おまけ」や「特別編」は作らないが、せっかくなので書き出しておく。

参考

狂気の集団自決

細川忠利の死因は脳卒中であった。3月14日に意識不明になり、17日に亡くなっている。この間、仮に意識を取り戻したとしても、殉死の願い出を裁決することは不可能だっただろう。
そもそも殉死の許可は死にゆく前主君(忠利)ではなく、新主君(光尚)が与えるものだ。忠利が許した/許さなかったという葛藤は、創作なのだ。

江戸で忠利の訃報を聞いた光尚は、すぐさま肥後に使いをやって殉死を禁じた。「命令に背くものは跡目断絶」と厳命した。にもかかわらず19名の藩士が腹を切った。それだけ忠利を慕っていたとも言えるが、新主君の命令を無視した集団自決は異常事態である。

ちょっと想像してみる──。
おそらくだれかが、「跡目断絶されても殉死することが、まことの忠義である!」とか言って切腹したのだろう。それを見た藩士たちは集団ヒステリーを起こし、「そうだそうだ」「おれもおれも」「おぬしはどうだ?」と、連鎖的、衝動的に自決したにちがいない。狂気は伝染し、19名もの被害者が出た。

彼らが理性を失っていたと推察できる記述が、いくつかある。
たとえば津崎五助は、自分の死後、愛犬が苦しむことを憂いて、脇差しで刺殺してから、切腹した。美談に思えるが、おかしい。五助が世話していたのは忠利の愛犬である。五助が死ねば、だれかが仕事を引き継ぐ。それに訓練された犬が、許可なく人間の握り飯を食べるはずがない。

どうじゃ。おぬしもおれと一緒に死のうとは思わんかい。もし野良犬になっても生きていたいと思うたら、この握り飯を食ってくれい。死にたいと思うなら、食うなよ。

つまり五助は、新主君(光尚)から殉死を禁じられ、周囲にやめるよう説得されたが、前主君(忠利)の愛犬を勝手に殺し、自分も切腹したわけだ。まともな精神状態ではない。

帰国後、光尚は前言を取り消し、19名の殉死者の跡目相続を認めた。代替わりにあたって藩士たちの心をつかむべく恩情を示したとされるが、罰することはできなかったと思う
彼らを罰すれば、19名もの藩士に命令を無視されたことがクローズアップされる。また武士たるものが軽はずみに腹を切ったと認識される。逆に19名の殉死を美化すれば、忠利の人徳が強調され、光尚の統治もやりやすくなる。選択の余地はなかっただろう。

阿部弥一右衛門は阻害されていない

19名のうち最後に殉死したのは、田中意徳。忠利の死から3ヶ月後で、光尚の許しを得ている。阿部弥一右衛門が腹を切ったのは4月26日。19名は等しく、丁重に弔われている。ゆえに「弥一右衛門の殉死が遅れ、卑怯者と侮蔑された」というのは、『阿部茶事談』と『阿部一族』の創作である。
しかし殉死した日付や様子は史実に即しており、物語の展開と食い違っている。わざと矛盾を残したのか、気づかなかったのか。わからない。

弥一右衛門は19名の殉死者の中でもっとも知行が高かった。本来なら光尚の命を受け、家臣たちの殉死を止める立場であったから、自分も一緒になって腹を切るなど言語道断と言えなくもないが、その点を咎めた痕跡はない。

憎悪を向けられた阿部家

阿部弥一右衛門の優秀な役人であった。小説では幼少時から忠利に仕えているが、史実では惣庄屋(村役人の最上位)の出身である。忠利に行政手腕を認められ、数々の功績を成し遂げ、わずか8年で千百石──肥後藩の上級藩士79名の1人に出世した。忠利の信頼も篤く、忠利が生前最後に訪れたのも弥一右衛門の屋敷であった。おそらく新参者である阿部一族は、細川家の古株たちに疎まれていただろう。

忠利という後ろ盾がなくなって、弥一右衛門も殉死すると、人々の憎悪は阿部家の子どもたちに向けられた。知行は分割され、減俸された。このあたり、相続が二転三転しているが、詳しいことはわからない。権兵衛は父の奉行職を継ぐことができず、不満が高まった。

寛永20年(1643年)、先代の法要の席上で権兵衛は元結を切って、目安(訴状)とともに霊前に差し出した。元結を切っただけなら衝動的な行動(乱心)と弁解できるが、訴状を突きつけた以上、計画的犯行と見なければならない。光尚は激怒した。なお、権兵衛が出した訴状の内容もわかっていない。

反乱と顛末

権兵衛は即座に逮捕、投獄された。事件を知った弟たちはその日のうちに屋敷に立てこもった。四日後、藩の討ち手が突入、阿部一族はすべて討ち取られた。権兵衛は、反乱の原因としてではなく、反乱の結果として処刑された。謀反人である権兵衛たちの主張は記録されていない。墓もない。

要するに阿部一族の反乱は、相続にまつわる確執が原因であって、阿部弥一右衛門の殉死とは関係なかった。

『阿部茶事談』と『阿部一族』

森鴎外は『阿部茶事談』を下敷きに『阿部一族』を執筆した。私は『阿部茶事談』を読んでいないが、両者の内容はほぼ等しいそうだ。ゆえに『阿部一族』は『阿部茶事談』の現代語訳とも言われる。

『阿部茶事談』は歴史書ではない。事件の数十年後、討ち入りで勲功第一と称された栖本又七郎(作中では柄本又七郎)が書いたものであるから、潤色・美化が含まれている。

『阿部茶事談』は、本来ならスキャンダルである「19名の集団自決」と「阿部一族の反乱」を結びつけ、美談に仕立てている。これは又七郎が仕組んだものではなく、細川家の意向も働いたと思われる。たとえば、二羽の鷹が殉死したエピソードは岫雲院に伝わっているが、当たり前だが、鷹が殉死するわけがない。こうしたエピソードを残すことで、スキャンダルの本質を隠蔽し、忠利の威光を高めたのだ。
歴史家のような根拠は示せないが、そう考えると納得できる。

  • [Wikipedia] 岫雲院 ... 伝承では一羽は井戸に、一羽は荼毘の炎に飛び込んでいる。

376年前、肥後藩で怪事件が起こった。詳しいことは言えないが、人々の好奇心は消えない。数十年後、『阿部茶事談』によって2つの事件は「殉死の悲劇」として、美化される。270年後、森鴎外が殉死の構造を追求すべく、『阿部一族』を発表。さらに100年後、【ゆっくり文庫】で取り上げ、いま、あなたが歴史を知ったというわけだ。

又七郎は義の人か?

『阿部一族』を読むと、又七郎の言動に戸惑う。又七郎は阿部家の隣人でありながら、お上の命令を無視して討ち入り、親友である阿部弥五兵衛を槍で貫いた。情より義を取ったと言うが、「茶の子」と自慢するのは不謹慎だろう。またそのセリフから『阿部茶事談』と名付けるあたり、功名心の強さがうかがえる。

御沙汰には火の用心をせい、手出しをするなと言ってあるが、武士たるものがこの場合に懐手をして見ていられたものではない。情けは情け、義は義である。

元亀天正のころは、城攻め野合せが朝夕の飯同様であった。
阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子じゃ。

私はこう考える──。
又七郎は「隣人を討ち取って出世した」との批判を避けるため、つまり自分を正当化するため、『阿部茶事談』を書いたのだろう。手柄を自慢したくだりは事実で、阿部家との交流や弥五兵衛との一騎打ちは創作に思える。
そう考えると腑に落ちるので、この解釈に基づき翻案することにした。

殉死禁止令

余談──。殉死は日本古来の伝統ではなく、江戸時代初期に急増したブームである。殉死を美化し、その数を競う風潮もあったが、やがて殉死がもたらす大きな損失に気づく。しかし殉死を止めるのは難しかった。

寛文3年(1665年)、阿部一族の反乱から23年後、江戸幕府は武家諸法度の公布とともに殉死は「不義無益」であると禁じた。
にもかかわらず5年後、宇都宮藩で「追腹一件」が起こる。宇都宮藩藩主・奥平忠昌が病死。跡継ぎであった長男・奥平昌能が、忠昌の寵臣であった杉浦右衛門兵衛に対し、「いまだ生きているのか」と詰問したところ、杉浦はただちに切腹した。
幕府は奥平家を減封(=大名の所領や、城・屋敷の一部を削減すること)して、出羽山形藩9万石に転封(大名の所領をべつの場所に移すこと)。殉死した杉浦の相続者を斬罪に処した。この苛烈な裁きによって、殉死は激減したと言われる。

日本人は「和をもって尊しとなす」と言われるが、物理的に引き離すことでしか解決できないこともある。『阿部一族』でも、阿部一族を北海道あたりに追放すれば、悲劇は回避できただろう。

【ゆっくり文庫】で取り上げること

【ゆっくり文庫】で、滝口康彦の『薩摩軍法』(1974)を紹介したいと思った。高校生の頃に読んでショックを受け、そこから池波正太郎、司馬遼太郎と読み進めた。しかし滝口康彦氏は2004年に亡くなったばかり。パブリック・ドメインに入るのは、ずっとずっとずーっと先だ。

パブリック・ドメインの怖いところは、こうした「ちょっと前の作品」が全滅するおそれがあることだ。出版社は利益追求のため、どんどん絶版にする。利益を生まない原稿がきちんと保管、相続される保証はない。数十年もすれば、相続者のいない孤児作品となり、だれも読めなくなってしまう。著作権が文化を破壊しているよ。

『仮名手本忠臣蔵』(1748)はあまりに長い。ふと思い出して、森鴎外の『阿部一族』を選ぶ。『阿部一族』は淡白で、『薩摩軍法』のような叫びはないんだけど、本作が日本文学に与えた影響は大きい。紹介する価値はあるだろう。

映画『阿部一族』(1938)

例によって先行作品に学ぶ。まずは戦前のモノクロ映画。
演技は抑揚がなく、演出らしい演出もない。原作を読んでないと登場人物や状況を理解しづらい。権兵衛が阿部家の反乱を指揮するのは驚いた。又七郎が権兵衛の死体を抱きかかえるシーンは男色を彷彿させる。阿部家の兄弟や家来のシーンが増えているが、ストーリーを盛り上げることもない。翻案の意図がわからない。光尚は愚鈍な人物であり、刀をなくした注進に「追放だ」と言い放つラストも今ひとつ。お城や屋敷のセットは壮大で、実物に見えた。


※情景がリアル

漫画『カムイ外伝』上意異変(1986)

中学生のころ、夢中になって読んだ『カムイ外伝』。いま思い返すと、『上意異変』の構図は『阿部一族』を下敷きにしていたようだ。悪人を悪人らしく描き、カムイが裁きを下すことで、痛快な娯楽アクションに仕上がっている。歴史小説の深みはないが、これはこれでよい。

ドラマ『阿部一族』(1995)

深作欣二による映像化。忠利がだれにも許しを与えなかったり、阿部一族が権兵衛の首を持ち去るなどの改変がおもしろい。又七郎の言い分はおかしいが、真田広之の迫力で納得してしまう。弥五兵衛(佐藤浩市)も奮闘しているが、衣装と髪型で埋没している。ストーリーは単純化され、光尚と外記が悪人として描かれている。
ところで悪人の顔を白く塗る演出は、『忠臣蔵外伝・四谷怪談』(1994)や『ケルベロス-地獄の番犬』(1991)でも見受けられるが、どこが発祥なんだろう?


※クライマックスの集団戦闘がみどころ

翻案と演出

【ゆっくり文庫】初の歴史小説である。美少女たちに武士を演じてもらうのは無理があったが、まぁ、足りないところは想像力でカバーしてほしい。

私は基本的に一人称で、時系列に沿った展開を好むが、『阿部一族』はテーマごとに人物と時間を行き来するスタイルにした。

難しい言葉は画面上段に説明を掲載した。歴史小説をよく読む人なら常識だろうが、時代劇が衰退した昨今は説明すべきと考えた。とはいえ「藩主」とか「切腹」は説明していない。どのくらいの説明が適量なんだろうね。ま、言葉を知らない人が動画を止めて説明を読んでくれるとはかぎらないが。
名前や年齢は、原作より史実を優先している。光尚(みつひさ→みつなお)、柄本又七郎→栖本又七郎など。阿部弥五兵衛の年齢はわからないが、竹内数馬と同じにした。

オープニング:二羽の鷹が墜ちた

原作における弥五兵衛のライバルは又七郎だが、悲劇性を強調すべく、竹内数馬とカップリングした。「二羽の鷹」を「弥五兵衛と数馬」に重ねるアイデアは、討ち入りシーンを制作してる時に思いついた。なのでオープニングが最後に追加制作されている。
弥五兵衛と数馬の友情を描くと、なぜ殺し合ったのかを描くことになり、テンポが悪くなるため省いた。なんとなく、「友人同士だったようだ」と察してほしい。

森鴎外「阿部一族」
※運命を知らないふたり

ふと思いついて、「かごめかごめ」の曲を流してみたら、思いのほかフィットした。「籠の中の鳥はいついつ出やる」や、「うしろの正面だぁれ?」など、本作を彷彿させる歌詞が多いことも驚き。もちろん、「かごめかごめ」の歌詞と阿部一族の反乱は関係しない。

長十郎の殉死(殉死者の打算)

長十郎は忠利の足を額に押し当てて殉死を願い出ている。主君への狂気的な思慕がうかがえるが、ゆっくり動画じゃ再現できないため、ふつうに願い出ている。若く、酒飲みで、粗忽者という設定。頭の位置、きめぇ丸のイメージから、厚かましく見える。そんな彼も家族に愛され、家族を愛し、それゆえ殉死を選んだ。

森鴎外「阿部一族」
※長十郎の家族

長十郎の妻には名前がない。夫の死を悲しむあたり、まともな精神状態と言える。それでも止めようとしないのは、武家に嫁いだ覚悟ゆえか。長十郎が17歳だから、彼女は中学生くらい。恋に恋する年ごろで未亡人とは残酷だ。演じるのはチルノ。きめぇ丸との夫婦は定番だが、薄幸も定番になってしまった。
『薩摩軍法』にならって、武家社会に翻弄される子女の視点も描こうと思ったが、脱線するので見合わせた。

長十郎の母は『雪おんな』と同じく幽々子。覚悟ができているため、息子が「今日、死にます」と宣言しても動じない。これが立派な女性像だとしたら、狂っている。狂った世の中で、理性を保つことはできない。

弟(内藤左平次)は、ラストと絡めるため出演させた。演じるのは射命丸、『エドワード・バーナードの転落』以来の出演だ。前髪をいじって、若さを強調した。きめぇ丸のクローンであるため、オリジナルの射命丸文より弱々しいイメージがある。
原作で長十郎の介錯をするのは関小平次だが、竹内数馬に差し替えた。千百五十石で鉄砲組三十挺の頭である竹内数馬が、机廻りの長十郎を親しいとは思えないが、まぁ、いいっしょ。

ゆっくり文庫劇団
※ゆっくり文庫版射命丸、縮瞳

物語にすると、長十郎はいかにも純真で、無垢で、あわれに見えるが、私はそう思わない。彼は加害者だ。
史実を紐解くと、長十郎は早い段階で、積極的に殉死している。17歳の若造が忠義を示したことで、ほかの家臣たちも釣られてしまった(引っ込みがつかなくなった)のだろう。長十郎が殉死しなければ、これほどの集団自決にならなかったかもしれない。

忠利の都合

時間は遡って、忠利による選別が描かれる。18名のフルネームを読み上げることで、忠利が部下をよく気にかけていたことを表現した。また藩主であっても家中の空気に逆らえない実情も示している。
忠利が弥一右衛門に許しを与えようとして急逝するのはオリジナル演出。忠利を悪人にしたくなかった。

森鴎外「阿部一族」
※18名が、それぞれ生きた個人であったことを示す。

弥一右衛門の苦悩

噂話をする人影が2つ登場する。早苗&アリスを配置したが、アリスの人形(上海)が目立つため、壁抜けの鑿(のみ)をもつ霍青娥に差し替えた。

匿名の2人だったが、ふと思いついて高見権右衛門(せいが)と栖本又七郎(ありす)を割り当てる。高見権右衛門は、竹内数馬と同じ側者頭。阿部一族の誅伐では副将として裏門から突入。勲功により、知行五百石から八百石に加増された。栖本又七郎は前述したとおり。【ゆっくり文庫】では悪徳の象徴と位置づけているが、史実および原作に卑劣な描写はない。

城内のうわさ話を耳にした竹内数馬が割り込んで、殉死できない男の苦しみを訴えるシーンもあったが、テンポが悪くなったのでカットした。

森鴎外「阿部一族」
※姿を見せぬ大衆

弥一右衛門の息子は5名。長男・権兵衛、次男・弥五兵衛、三男・市太夫、四男・五太夫、五男・七之丞だが、名前の数字が飛んでいるのは夭折したせいだろうか。ややこしいので長男と次男以外は割愛する。一族が集まるシーンも蝋燭で代用した。

弥一右衛門(父)、権兵衛(兄)、弥五兵衛(弟)を演じるのは八雲一家。『父帰る』と同じ組み合わせ。ちなみに落ち込んだ権兵衛が川へ行くのも、『父帰る』からの連想。

弥一右衛門が追腹を切る理由に、「怖さ」を挙げるのはオリジナル演出。生きて光尚に奉公すれば、忠利への奉公と比べられる。劣っていれば忠節を疑われ、優れていれば過去の自分が否定される。死んで精算したくなる気持ちも理解できる。生きて恥辱に耐える覚悟は、死ぬ覚悟よりつらい。

森鴎外「阿部一族」
※権兵衛は表情が変わらない

細川光尚の苛立ち

原作では林外記(はやし・げき)という大目附が憎まれ役として描かれている。『阿部茶事談』の執筆当時、光尚はすでに亡くなっていたが、恩顧ある主君の是非を問うような記述は避けたのだろう。【ゆっくり文庫】はシガラミがないから、自由に翻案できる。細川光尚は善良だが、人生経験の足りない若者として描いた。【ゆっくり文庫】の林外記は、ちょっとずつ未来の悲劇が予見できているが、止められない人物として描いている。

殉死の連鎖を食い止めるため、どこかに境界をつくる──。
その判断は正しいが、遺族の心情や、家中の反応に留意すべきだった。まぁ、父親の急死によって跡目を継いだ若者だから、至らぬところがあるのは仕方ない。

森鴎外「阿部一族」
※未熟な二代目だが、だれが彼を責められよう。

権兵衛の苦悩

史実においても、原作においても、権兵衛が髻を切った理由はよくわからない。詳しく述べる意義はないので、「なにかあったようだ」と思わせる演出をした。

ここを妄想補完すると、権兵衛は父の死を願ったことが負い目となって、情緒不安定になったのだろう。「なぜ止めなかった」「父の死によって利益を得てはならない」と自分を責め、死ぬことで解放されようとした、と解釈している。
これも殉死(自殺)が与えた暗黒の影響だとしたら、彼も被害者と言える。

森鴎外「阿部一族」
※多くを語らない権兵衛

ZUN帽を脱いで乱れ髪の八雲藍
※ZUN帽を脱いで乱れ髪の八雲藍

権兵衛(らん)が髻を切るシーンは、ZUN帽を脱ぐことで表現した。本来ならキツネの耳が出てくるはずだが、そこまで描けなかった。髪型をいじる作業もだいぶ慣れた。時間はかかるけど。

弥五兵衛の反逆

テスト出力を嫁に見せたところ、「阿部一族が反乱を起こす理由がわからない」と言われた。たしかに訴状(要求)も出さず、ただ暴れて死ぬなんて狂ってる。細川家もわざわざ討ち入りせず、兵糧攻めにすれば犠牲者を出さずに済んだ。
しかし、まぁ、そうじゃないんだよ。時代劇が衰退したことで、このへんの機微が伝わらないかもしれない。「妻子まで殺すなんてひどい」とか「逃げろ」とか、「討ち入りの日取りが漏れるなんて情報管理が杜撰」とか、そーゆー突っ込みもあるだろうし、それは現代において正しい。

森鴎外「阿部一族」
※犬として生きるより、犬として死ぬほうがいい。

まじめに考察しよう。
阿部一族は精神をやんでいたと思われる。すなわち、「父と兄が死んだのに、自分たちが幸せになるなんて許されない」「死んで、この気持ちを証明しなければならない」と思い込み、死に向かったのだ。罪悪感が、彼らの心を蝕んだ。弥一右衛門の死が権兵衛を追い詰め、権兵衛の死が阿部一族を滅ぼしたとすれば、殉死(自殺)が個人の問題なんて、とても言えない。
彼らの選択肢を見てみよう。

恥辱に堪えて生きる

当主を処刑された一族が、平然と奉公すれば「情け知らず」と疎まれる。怒っていれば「叛意あり」となじられる。懸命に働いても軽んぜられ、手を抜けば叱責される。名聞を失うと、社会生活が成り立たない。実際そうなるとは限らないが、そうなると確信している人々を説得するのは難しい。
戦乱の世であれば、汚名返上するチャンスもあっただろう。その見込みがないなら、恥辱は永続する。あるいは、そう思い込んでしまう。

どこかに逃げる

べつの藩に引っ越すとか、転職する自由はない。できたとしても、当主を殺された一族と知られれば同じ恥辱を受ける。それでも堪えて、がんばって、死ぬ覚悟で出世できたとしても、阿部弥一右衛門のように侮蔑されるかもしれない。精神的にも、再チャレンジは難しい。

落ち延びる

一族を捨てて、個人で落ち延びる選択もある。顔と名前を変えて、どっかでひっそり幸福になるチャンスはあるだろう。だが、自分自身からは逃げられない。むしろ幸福になればなるほど罪悪感は大きくなり、だれも知らないところで首を吊るだけだ。

交渉する

光尚に一族の面目を施してもらうよう訴えれば、平和的な解決もあり得る。しかしそれだけの政治力が阿部家に残っているとは思えないし、すでに権兵衛が失敗した。「もう交渉の余地はない」と考えたとしても、無理はない。

残された道は、決起のみ。
まったく愚かな選択だが、死に向かうときの一体感、多幸感、高揚感は、強烈だったと思われる。生きることに喜びがあるように、死ぬことにも悦びがある。竹内数馬も同じ。みんな、死に向かってしまう。

竹内数馬の覚悟

阿部一族誅伐の主将に竹内数馬を指名したのは、林外記であった。死にたがりの藩士に危険な任務を押し付けたわけだが、数馬も討ち死にすると決意。表門から突入して、大した働きもないまま死んだ。よくわからないキャラクターだった。
【ゆっくり文庫】では弥五兵衛のライバルとして描いた。数馬と弥五兵衛が親友であることを、光尚は知らずに指名した。外記は知っていたが、言い出せなかった。

竹内数馬に迷いはない。生きて報奨を得るため、親友を殺すのではない。自分も死ぬのだ。最後に自分の技を披露するなら、弥五兵衛は理想的だ。殺すもよし、殺されるもよし。弥五兵衛もそう思っているから、数馬と対峙しても躊躇しなかった。愛より死を選ぶ男たち。

森鴎外「阿部一族」
※数馬サイドも描いてみたかった

討ち入り

チャンバラは時代劇の見せ場だが、ゆっくり動画じゃ再現できない。がんばっても『藪の中』みたいに抜けたものになる。よって数秒の激突で切り上げた。
短いが、とてつもなく苦労した数秒だった。没になったアイデアも多い。MMDなら、ドラマ性あるアクションを表現できたかもしれない。

原作の弥五兵衛は又七郎の槍を受けてから、切腹する。なぜ切腹にこだわるのか、よくわからない。又七郎が、「自分が親友を殺したわけじゃない」と弁明するためか? であるなら、弥五兵衛を討ち取っていない又七郎が勲功第一と称されるのも解せない。
こうした疑問を解消すべく、下記のようなプロットを考えた。

  • 要塞化した屋敷。油断した討ち手が次々に殺される。
  • 高見権右衛門が裏門から突入。恐怖で腰を抜かす。
  • 竹内数馬が表門から突入。阿部弥五兵衛と一騎打ちとなる。
  • 剣戟の末、数馬が弥五兵衛を討ち取るが、死ねなかったことで呆然となる。
  • 又七郎は手柄を求め、無断で阿部家に忍び込む。「情けは情け、義は義。そしてチャンスはチャンスじゃ!」
  • 混乱の中、又七郎はあやまって数馬を殺害。あとから来た左平次に、「自分が弥五兵衛を討ち取った」と嘘をつく。
  • 生き残った高見は、部下たちの手柄で出世する。

森鴎外「阿部一族」
※チャンバラ

ゆっくり文庫劇団
※傷ついた橙とフランドール

クライマックスではテレビドラマ「忠臣蔵」(1985)の主題歌、「憧れ遊び」(堀内孝雄)を流すつもりだったが、著作権の問題で見合わせた。いい曲なんだけどね。

後日談

かくして阿部家は討伐されたが、問題はなにも解決しなかった
戦況報告した近習(内藤左平次)が刀を落としたと叱られるシーンは、原作要素を組み替えたオリジナル。追放された目附は畑十太夫で、光尚を慕って殉死する近習に名前はない。

森鴎外「阿部一族」
※殉死は連鎖する

阿部一族の反乱から8年後──慶安2年(1649年)、細川光尚は31歳の若さで死去。このとき11名の家臣が殉死した。幕府が殉死禁止令を出すまで、肥後藩は殉死が相次いでいる。
権勢を振るっていた林外記は、「おまえは殉死しないのか?」と追求される立場になった。いつまでも殉死する様子がないので、佐藤傳三郎なる者が屋敷に押し入り、外記を殺してしまう。なぜか、佐藤傳三郎は処罰されなかった。詳しいことはわからないが、外記は家中の怨みを買っていたようだ。まさに、「うしろの正面だぁれ?」だ。

『阿部茶事談』と『阿部一族』にならい、ラストは自慢話で締めくくった。高見権右衛門と栖本又七郎が極悪人に見えるかもしれないが、そうではない。彼らは無責任な野次馬でしかない。阿部一族の誅伐で活躍したのも、手柄を得るため。悪事ではないし、悪人でもない。

森鴎外「阿部一族」
※悪人ではありません。

雑記

近ごろ海外作品が多かったから、日本の歴史小説を取り上げてみた。いろいろ手間取ったが、おもしろい作品に仕上がっただろうか? やはりミステリーや童話のほうが喜ばれるかもしれない。

【ゆっくり文庫】で翻案するとき、苦労するのは引き算より足し算だ。つまり物語を省略するのは簡単だが、原作にないキャラクターやイベントを追加するのは抵抗感がある。本作の場合、弥五兵衛と数馬のオリジナルエピソードはじゃんじゃか思いつくが、「原作を変えすぎる」と批判されるのを恐れてカットした。「今さら」と思うだろうが、ほんと、抵抗感は強い。私もまだ吹っ切れてない。
たっぷり2時間枠で脚本を書いてみたいと思うが、なるたけ簡潔にまとめたいという気持ちもある。制作の手間を考えると、後者を取ってしまう。

んで、気がつけば【ゆっくり文庫】も4周年になる。今年こそ記念動画を作りたいが、どうなることやら。

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ゆっくり文庫 (72)

思考回廊 創作
【ゆっくり文庫】森鴎外「阿部一族」