【ゆっくり文庫】森鴎外「牛鍋」 Gyu-Nabe (1910) by Ogai Mori

2018年 ゆっくり文庫 ドラマ 日本文学 森鴎外
【ゆっくり文庫】森鴎外「牛鍋」
071 永遠に渇してゐる目──

文明開化の東京。とある牛鍋屋で、男と、女と、幼い娘が鍋を囲っていた。娘は「食べろ」と言ってもらえず、ついに箸を鍋に伸ばした。

原作について

森鴎外

森鴎外
(1862-1922)

 短い作品である。1,804文字しかない。舞台は牛鍋屋から動かず、登場人物は3名のみで、事件らしい事件も起こらないが、さっぱりわからない。「すばしこい箸」「永遠に渇してゐる目」など、代名詞が多いことも状況を把握しづらくしている。

 なので推理が必要になる。

 下記は私の推理であって、これを正解とするつもりはない。

私の推理

 牛鍋屋で牛鍋を囲む男と女と娘──。
 男は食を独占し、妻と娘をないがしろにしているように見える。しかし男は、女の死んだ夫の友人であって、3人は家族ではなかった。なぜ3人が牛鍋を食べることになったのか、事情は最後まで明かされない。

 女は三十前後。むかしから「二十後家は立つが三十後家は立たぬ」といって、性の悦びを知った三十代の未亡人は、禁欲できず、操(みさお)を立てる(=独身でいる)ことができないとされた。女が《永遠に渇してゐる目》で男を見つめつづけることから、「性欲に支配された女が、食事も、自分の娘も忘れている」と解釈できるが・・・本当にそうだろうか?


 《永遠に渇してゐる目》とはなにか?
 性欲なら、一時的にせよ満たされる可能性がある。永遠に満たされないのは、死んだ夫への愛だ。そもそも男に色目を使うなら、食事の席に娘を連れてこないだろう。やむなく連れてきたなら、酒を飲んだはず。
《目の渇は口の渇を忘れさせる。女は酒を飲まないのである。》
 女が性欲に支配されて男に見惚れているなら、酒をつぐなどの世話はできない。女は理性があるが、余裕がない。なぜか?

 娘は、牛鍋をよそってもらうのを待っている。肉を取り上げられても、《怨も怒もない。ただ驚がある。》と反応することから、しつけられている=食の争奪を経験したことがない=何不自由なく育てられた、と想像できる。

 男は、牛鍋をすばしこく食べ、《折鞄》を持っていることから、近代的な成功者であろう。

 以上から「夫の死によって困窮した母と娘が、夫の友人である男をたよってきた」と推理できる。


 男は《丈夫な白い歯》《鋭く切れた二皮目(=ふたえ)》《世に苦味走ったという質の顔》と好意的な描写がつづく。だのに男は、女に一瞥もくれない。友人の妻と子であっても、肉を取り分けてやる(=情愛を傾ける)存在ではないようだ。
 女に興味がない/不自由していないなら、わざわざ牛鍋をいっしょに食べたりしない。男は食事に同伴させ、あえて無視することで、「おれは絶対に支援しない。あきらめろ」と牽制しているのではないか?

「女は、男から経済的支援を引き出すため、色目を使っている」
「男は、傍若無人に振る舞うことで、女の意図をくじこうとしている」

 牛鍋屋の片隅で繰り広げられていたのは、男と女の駆け引きだった。


 男は、自分たちを動物園の猿にたとえ、《人は猿より進化している》という結論を、二度、繰り返す。

 一度目は自分(男)のこと。
《箸のすばしこい本能の人は娘の親ではない。親でないのに、たまさか箸の運動に娘が成功しても叱りはしない。》 
 自分(男)は、娘の親でないにもかかわらず、食物を取り上げなかった。→自分(男)は猿より進化している。

 二度目は女のこと。
《今二本の箸はとうとう動かずにしまった。》
《一の本能は他の本能を犠牲にする。》
 女は目先の欲望に流されなかった。性欲が母性本能を駆逐したのではなく、理性ある母性本能が、飢えや、渇きや、娘の世話を抑え込んだのだ。→女は猿より進化している。

《こんな事は獣にもあろう。しかし獣よりは人に多いようである。》
 それでも男は、人間は動物にすぎないと考える。女の行動も、将来の「食」を手に入れるための工夫であって、猿が棒で芋を取り寄せるのと変わらない。そう思いながらも、男は男なりに、女を賞賛している。かすかな満足と、男の乾いた人生観が伺える。

 男と女の駆け引き──。
 その結末は描かれないが、男が母娘を、無碍にあつかったとは思えない。

参考

翻案と動画制作

 原著が「さっぱりわからない」から、「わかる」翻案を目指すわけだが、すべてを語ることはできない。無粋になってしまう。だから読者(視聴者)に想像してもらう部分はあって、この編集後記で述べる私の意図が100%伝わるとは思ってない。「なんとなくわかる」になればいい。
 あと十年もすると、この動画も「さっぱりわからない」に分類され、すべてを語り尽くすウルトラ親切な翻案が喜ばれるかもしれない。これは相対的な問題で、むかしは硬いものを平気で食べていた(少ない演出でも物語を楽しめた)が、現代人は柔らかいもの(わかりやすい物語)を好む。未来人はさらにアゴが弱って、ふにゃふにゃのものを好むかもしれないが、私は現代人のために料理している。おそらくこのくらいの硬さが好まれるだろうと考えている。

場面0.うんちく

 まず物語の時代背景を説明する。ここに補足的な情報を書き記しておこう。

牛鍋≠すき焼き
吉野家の牛鍋丼
吉野家の牛鍋丼
(並盛280円、大盛380円)

 牛鍋は、ぶつ切り肉とネギを、味噌で煮込む料理。
 すき焼きは、薄切り肉を焼いて、多様な具材といっしょに割り下で煮込む料理。

 日本人に肉食文化がなかったころに考案された、いわば原始的な料理である。なのでいま食べたら首を傾げるかもしれない。牛鍋を供する店はたくさんあるが、現代風のアレンジされている。平成22年(2010)に販売開始した吉野家が「牛鍋丼」も、どう見ても「すきやき丼」だ。

明治天皇が先頭を歩かれた

 肉食を禁じたのは聖武天皇(701-756 / 奈良時代)であった。以来、1200年間、日本人がまったく獣肉を食べなかったわけではない。兎を「○羽」と数えるのは、「兎は獣ではなく鳥だ」と言い訳して食べた名残と言われている(諸説あり)。また日本で最初の牛鍋屋が開店したのは文久2年(1862)だから、大政奉還(1867)より前だ。

 明治5年(1872)、明治天皇が牛肉と牛乳を召し上がられた(禁を破られた)ことで、一般大衆も肉を食べるようになった。それがどれほど勇気ある行為であったか。世界の多くの王朝が旧弊に引きこもることで滅びたことを思うと、驚嘆すべき人物である。明治天皇が新進気鋭の人物であればこそ、日本人は近代化を受け入れることができた。

森鴎外「牛鍋
※明治 - 優れた君主と、優れた先達たちが、日本を大きく変えた。

古いものは捨てられた

 文明開化によって鉄道が敷設され、工場が稼働し、郵便局や銀行が建てられた。その過程で邪魔になった神社や寺は次々に破壊された。廃仏毀釈である。
 たとえば京都の古刹・南禅寺であっても、境内をぶち抜いて水道橋(水路閣)が通された。こうした動きは政府が強要したものではない。日本人は自発的に古いものを恥じ、壊し、捨てて、新しいもの(西洋文明)を受け入れていった。その変化に、小泉八雲(1891-1904)は心を痛めた。
 明治6年(1873)、地租改正が施行されると、あらゆるものが金に置き換えられた。人間の価値は血筋や品位ではなく、どのくらい金を稼げるかで決まる。時代に対応できぬ武士は零落し、平等になった市民の中から、賢いものが成り上がっていった。

水路閣
※南禅寺の境内をぶち抜く水路閣

脱落するものが多かった

 女性の地位はかぎりなく低かった。江戸時代も低かったが、義理人情が薄らいだことでセーフティーネットが崩れてしまった。士族を救う余裕もない明治政府に、シングルマザーを支援するなんて発想はない。女性は、男性の庇護なしには生きられなかった。

 一方、時代の変化に対応して財を成すものもいた。森鴎外『雁』に登場する末造のような高利貸しも、おそらく江戸時代より明治・大正のほうが多かっただろう。文明開化した人間が、必ずしも薄情でないことは、明治の文豪たちが繰り返し言及している。共産主義が入ってくると、金持ちや体制側を悪とする風潮が高まってしまうが、それは別の話。

 以上が、「牛鍋」の時代背景である。

場面1.娘が肉にありつくまで

 原著に年代設定はない。発表されたのは明治43年(1910)だが、このころの牛鍋は「安くてうまい料理」という扱いだったから、物語の描写にそぐわない。明治10年では早すぎる。
 よって明治33年(1900)とした。男と女が33歳なら、明治元年生まれ。小泉セツ(1868-1932)と同世代だ。

キーイメージ

 現代人が100年前の錦絵や写真を見ると、なにもないと感じるが、当時の人たちにとっては驚嘆すべき新世界だっただろう。その衝撃を表現すべく、サイバーパンクのイメージを使うことにした。皇紀(神武天皇即位紀元)、帝都、東京府、と表記すると、現代人にとっても異世界になった。
 このとき、『ブレードランナー』のサウンドトラックを使うことが決まった。
 『ブレードランナー』の冒頭、空飛ぶ広告船が植民惑星(Off World)への入植を促すシーンがある。これを流用して、満州への入植を促すシーンを加えようと思ったが、テーマが散逸するので見合わせた。

映画「ブレードランナー」(1982)
※映画「ブレードランナー」(1982):もっとも好きな映画の1つ

森鴎外「牛鍋」
※近未来ではなく、近過去。

基本配置を考える

 当時の牛鍋屋に、お座敷席はあっただろうか? 隣席との距離は? それっぽい写真は誤解を招くので、「いつもの和室」にした。

映画「るろうに剣心」(2012)
※「るろうに剣心」は明治11年(1878)という設定。ちなみに緋村剣心は嘉永2年(1849)生まれ。

森鴎外「牛鍋」
※基本配置が決まった

 「牛鍋」の素材を探したが、ヒットするのは「すき焼き」ばかり。写真だと変化を表現できなかったため、「すき焼き」のクリップアートをいじって、豆腐、椎茸、水菜を抜く。けっこう大変だった。
 物語では「箸」の動きはクローズアップされるが、そこまで表現するのは無理だった。

森鴎外「牛鍋」
※参考にしたクリップアート →[OpenClipart] Sukiyaki

森鴎外「牛鍋」
※具材を取って、鍋を浅くする。ぶつ切り肉は再現できなかった。

 男は《晴着らしい印半纏を着ている。》と描写されるが、ゆっくりで衣服は表現できないし、現代人に通じないので、「成功者」と述べた。折鞄も、印半纏とのギャップがないと意味を成さないので省略。
 女は《黒繻子の半衿の掛かった、縞の綿入に、余所行の前掛をしている。》とあるが、私には、それが彼女の社会的地位を示しているかどうかもわからない。ただ困窮していることを伝えるため、「ほつれを隠す」と述べた。

森鴎外「牛鍋」
※浮かぶ友人のイメージ

 「死んだ友人」と言うのは霊夢。ナレーションとかぶるが、ほかに適役がいなかった。友人を視覚化することで、男にとって母娘が他人であることを示す。

場面2.回想シーン

 原著にない回想シーンを挿入することで、男の人物像を描いた。3枚の写真とわずかなセリフで、どこまで表現できただろうか。下記は、私が用意したバックストーリー。

 主家に捨てられた男と友人は、金持ちになるため上京。けんめいに働く。
 友人は義理人情を捨てきれず、疎遠になった。
 歳月は流れ、友人の妻が訃報を伝えに来る。
 高利貸しになった男にとって、友人の妻子はなんの価値もない。
 ただ友人との約束もあって牛鍋を食べに行った。
 なにも恵んでやるつもりはなかった。

森鴎外「牛鍋」
※ノイズを加えて、古い写真っぽくする。

場面3.動物にたとえる

 原著では突然、猿の話がはじまる。地の文だから、男が考えていることか、3人を見ている著者が感じたことか、わからない。はじめて読んだときは意味不明だった。

《浅草公園に何とかいう、動物をいろいろ見せる処がある。》

 浅草公園は、浅草寺の境内にあった日本初の都市公園。動物の見世物は、「花屋敷」にあったと思われる。まぁ、重要な情報じゃないが。
 母猿と小猿が芋を奪い合うさまは、クリップアートの組み合わせで表現した。これも試作品をいろいろ作った。

浅草公園
※浅草公園:凌雲閣と花屋敷

原著に書かれていないところ

 原著の娘は一心不乱に食べ続ける。しかし画面に配置すると、食べない母親が気になってしまう。しつけられた娘なら、自分だけ食べることを躊躇するかもしれないと考え、そのように演出した。
 娘も、猿より進化している。
 そう気づいたとき、私も気持ちがやわらいだ。

場面4.おまけ - 男の結論

 原著の終わり方は唐突なので、オリジナルのラストを用意した。《おまけ》と表示すべきだが、よけいな混乱を招きそうだったので省いた。

 男は女と結婚したり、妾にしないが、明日の糧を得る機会を提供する。女の尊厳を傷つけない。これはビジネスであって、義理人情ではない。男にとって、ぎりぎりの譲歩である。
 品位ある女が、高利貸しの男をたよるくらいだから、そうとう追い詰められていたのだろう。明日をつないだ安堵で、涙がこぼれる。自分自身を売る覚悟だったから、娘を省みる余裕はなかった。
 男が手を出してきたら、拒否できない。
 手を出してもらわないと、露頭に迷う。
 「いっしょに食べよう」と言われて女は戸惑うが、情けに甘えることにした。娘が喜ぶ。

森鴎外「牛鍋」
※(情に流されるのは)今夜だけだ

森鴎外「牛鍋」
※(おれがあいつの代わりに、あんたがあいつの代わりになるのは)今夜だけでいい

火の共有

 なにが男の心を揺さぶったのか? そのひとつに、食事を共にしたことがあるだろう。

 家族のミニマムな定義を「火(台所)を分かち合う共同体」とすれば、牛鍋を囲った3人はたとえ血縁関係、婚姻関係がなくとも、「家族」なのだ。

 生物学的には親子で、別々の部屋で、別々の食事をするようなら、「家族」ではない。職場の同僚達であっても、同じ釜の飯を喰えば「家族」っぽい関係になる。ひとりで食事をする子どもも、母親が作った料理を食べているなら、火=台所の共有であり、「家族」に含められるかもしれない。

 日本人は太古から食卓を囲っていたわけではない。江戸時代の食事は個人の膳に盛り付けられ、運ばれ、ばらばらに食べていた。だから食事は冷えていたし、食べるときも上座・下座を意識した。もちろん鍋を囲むことはあったが、日常とは言いがたい。
 ちゃぶ台によって家族関係がフラットになって、絆を深めることができた。明治時代に多くのものが失われたが、得られたものも多い。

 「ちゃぶ台を囲む家族の情景」は昭和中期までつづくが、やがて失われていく。家父長制が廃止されると、父親の権威は失墜。技術が進歩して、政府の支援が充実すると、弱者も個人で生活できるようになった。もはや集団のため、個人の思考を我慢する理由はない。折り合いを付けることを求めると、すわ「強制だ」「横暴だ」「権威主義だ」と非難される時代になったわけだが、それはまぁ、本作と関係ない話。

 火の共有によって家族となる
 本作を取り上げたのは、この考えを伝えたかったから。まぁ、動画内で言及できなかったけどね。

余談1.遠い未来の家族

 映画『BLAME!』で、電基漁師たちが火を囲って眠るシーンがある。遠い未来、火を囲って心を落ち着かせる風習が復活するのは、おもしろい。霧亥は、すすめられたスープに口を付けない。火を共有しないことで、彼らと家族になれないことを暗示している。

映画『BLAME!』
※火を囲む電基漁師たち。家族になれない霧亥。

余談2.物語という火

 『グリム兄弟の足あと』の拡張プロット。物語もまた、火といえる。物語(火)は親から子に伝えられ、胸の奥に灯り、行動の規範となる。同じ人種であっても、物語(火)を共有しないと民族にならない。逆に物語(火)を共有できるなら、人種、言語、法律のちがいを越えられるかもしれない。

 ...といった話をサヴィニー先生がヤーコプに語るシーンを考えたが、勉強不足なので見合わせた。無念。

雑記

 短く、簡単な動画に見えるが、「間」が難しい作品だった。何度も再生して、細かく調整した。うまくできたか、自信がない。
 ま、おおむねヴァンゲリスの音楽で押しきれちゃうと思うけど。
 食事シーンも困った。私は食べるシーンが好きだが、食べるシーンばかりじゃ飽きる。咀嚼音は使いたくないから、「もぐもぐ」「むしゃむしゃ」「はふはふ」を使いまわす。口の形も増やすつもりだったが、「間」の調整に疲れて、あきらめた。

 『阿部一族』を投稿したので、森鴎外作品はストックにしていたが、クリスマス・ストーリーが難航したため、消化することにした。
 ところが投稿する段になってニコニコ動画に「ビットレートが足りない」と言われ、Avi-Utlの設定をいじったら出力できなくなった。よく見たらニコニコ動画の仕様もだいぶ変わってるし、Avi-Utlにインストールしたプラグインは古くなっていた。このあたりは興味ないから、まったく理解できてないし、アップデートするのも億劫だ。やれやれ。

 なんとか出力できたので、投稿する。
 元旦はホームズみたいな娯楽がいいだろうが、こんな動画があってもいいだろう。

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