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[創作] 2019年01月20日(日)に書いたゆっくり文庫

【ゆっくり文庫】横溝正史「百日紅の下にて」

【ゆっくり文庫】横溝正史「百日紅の下にて」

死の間際にて──

原作について

横溝正史

横溝正史
(1902-1981)

 昭和26年(1951年)発表だから、劇中時間は5年前。みなさん、5年前の出来事を思い出してほしい。そのくらい直近のことを描いているのだ。ちなみに本作が導入部となる「獄門島」は昭和22年(1947年)発表だから、4年前。

 見捨てられたニューギニア戦線、困難だった復員、帰ってきても東京は焼け野原で、GHQに占領されている。当時の世情は各自で調べてほしい。私も理解できてるとは言わないが、なにもかも失った日本人の虚無感を踏まえて読みたい短編である。

「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」

シリーズ横溝正史短編集 金田一耕助登場! (2016)

 「百日紅の下にて」は、NHK BSプレミアム「シリーズ横溝正史短編集」(2016)で映像化された。金田一耕助を演じるのは池松壮亮。全3話だが、3本とも雰囲気が異なっている。定着した「金田一耕助らしさ」を破壊しようとする、NHKの強い意志を感じる。

百日紅の下にて
※「百日紅の下にて」ストーリーは原作通りだが、表現は遊んでた。

 それはともかく、「百日紅の下にて」は演出が尖っていた。巨大な球体のような髪型の金田一耕助が、なぜかクマのぬいぐるみを背負っていたり、理想の女体を大根で、セックスを布団の格闘で表現したり・・・。それはそれで楽しいが、物語の構成はチトわかりにくい。

 毒殺事件が起こるまで、なんの話かわからないのだ。佐伯の苦悩、川地の思いやりへの言及も浅い。「原作を忠実に再現」というテーマを掲げているから、これはこれで悪くない。「原作を読んでみよう」って気になる。

【ゆっくり文庫】で扱うこと

 金田一耕助は、スーパーヒーローになってしまった明智小五郎を原点回帰させるべく創造された。なので初期の金田一耕助は、初期の明智小五郎と似ている。変人で、無慈悲で、都会の退廃や、性の倒錯が主題とする。
 やがて金田一は東京を離れ、田舎の因習、血の因縁などを主題とするようになる。このあたりから好評を博したため、金田一耕助=田舎=複雑な人間関係と連想されるようになった。

 金田一耕助の短編を【ゆっくり文庫】で取り上げても、「らしくない」と思われるだろう。それより明智小五郎を作るべき。もしやるなら「貸しボート十三号」や「香水心中」がよかろう。と、思っていた。

 しかし「シリーズ横溝正史短編集シリーズ」に触発された。二次創作なら、もうちょい踏み込めるのでは? さらにリクエストもあったため、制作してみることにした。カチンときたわけではない。

コメンタリー

 まずキャスティング。佐伯一郎=ゆかり、を決めると、由美=さなえ、川地=れいむ、が連鎖した。「スズメバチの巣」と同じ構図だ。鬼頭、志賀はモブだから誰でもよいが、狼藉者である五味は男性・こーりんとした。

 仮組みすると、過去と現在の差を視覚的に表現したくなった。回想シーンはボリュームが大きいので、セピアトーンをかけられない。そこでキャラクターのグラフィックをいじることにした。けっこう経験が活きている。

 「阿部一族」乱れ髪らん→ZUN帽なし:ゆかり
 「犬神家の一族」静馬→包帯
 「殺人処方箋」ナース→きめぇ丸:軍帽

百日紅の下にて
※時間の変化をグラフィックで表現。みんな傷ついた。

 原作の佐伯一郎は片足を失っているが、ストーリー上の意味はないため、片目に包帯を巻いた。川地も同じところに包帯を巻くことで、ふたりを対比させている。
 表記から算出すると、佐伯一郎は明治38年、由美は大正9年、川地は大正11年に生まれている。由美が自殺した昭和17年で、佐伯37歳、由美22歳、川地20歳。佐伯が川地を恐れ、嫉妬し、早合点したのも、まぁ、無理もない。

昭和26年(1946):焼け野原の百日紅

 地の文を佐伯一郎のモノローグに変更。物語は佐伯一郎の視点で進む。ドラマは「原作に忠実」と謳っているが、だいぶ省略されている。【ゆっくり文庫】はそれをさらに削った。人物が登場しても、特徴をまったく言及していない。推理小説としては失格だが、映像作品ならこれで通じるのではないか?

百日紅の下にて
※百日紅の下にて

 原作の佐伯一郎はスーツを着て、ベレー帽をかぶっている。市ヶ谷にあった屋敷の跡地に赴いたのは、由美との思い出にひたるためだ。ドラマでは、佐伯一郎も復員してきたところ、金田一と遭遇している。先の応召で片足を失った男が、ふたたび招集されるとは思えないが、まぁ、劇的だ。
 【ゆっくり文庫】もドラマに倣い、佐伯一郎も復員直後にした。

 小説ではずっと「復員者ふうの男」と表記されるが、金田一耕助であることはグラフィックで明らか。まぁ、伏せる意味もないが。骨箱をもっているのは、ラストで獄門島に向かうと会話するため。だから入っているのは鬼頭千万太。千万太は復員船で亡くなったから、遺骨があってもおかしくない。

 佐伯は、五味を毒殺した良心の呵責と、由美を失った絶望から、思い出の百日紅の木で首を吊ろうとしている。佐伯を追い詰めることで、金田一の来訪(川地の心遣い)が救いになることを強調するためだ。百日紅で首を吊るなんて、よっぽど大きい木なのだろう。

百日紅の下にて
※舞い落ちる花弁は、Avi-Utlの図形[パーティクル出力]。

 現在を強調するため、百日紅の花弁を散らす。時間経過とともに[出力頻度]が増えていく。また背景の廃墟は[コントラスト強め]、[逆光]、[徐々に赤く]、[徐々に昏く]と変化する。
 ほんとは百日紅の木をずっと画面に出したかったが、よい素材が見つからなかった。

昭和20年:ニューギニア

 回想シーンの起点として、ニューギニア戦線で死にゆく川地を描いた。祖国に見捨てられ、飢餓と疫病に苦しめられる兵士たち。川地には守るべき家族もない。そんな彼が死の間際、自分を殺そうとした男のことを思いやった。この点を強調したくて、本作を取り上げた。

 ちなみに金田一耕助は昭和15年(1940年)に応召して中国へ。転戦を重ねてニューギニアのウェワクまで南下。ここで終戦を迎える。川地謙三、鬼頭千万太と出会ったのは昭和17年(1942年)ごろとされるが、原作の表記とズレが生じる。ま、このへんを気にする人はいないか。

百日紅の下にて
※見捨てられたニューギニア戦線

昭和18年:毒殺事件

 原作は時系列に沿って描かれるが、【ゆっくり文庫】は逆順にした。
 五味が死んで、警察が呼ばれ、現場検証が終わり、事情聴取するところからスタート。会話形式にするため、T警部を登場させる。ちなみに金田一耕助と等々力大志警部が出会うのは昭和22年、『暗闇の中の猫』である。
 「犬神家の一族」と同じく、動きのあるシーンはスチルを活用した。それでもややこしいが、紆余曲折は目くらましだから、さっくり流した。

百日紅の下にて
※T警部の事情聴取

百日紅の下にて
※スチルによる状況説明。本作ではセピアフィルタをかけなかった。

昭和4年:由美の育成

 佐伯が由美を育成し、充実したセックスライフを送ったことについて、原作はかなりの紙幅を割いている。ドラマも同じ。しかし【ゆっくり文庫】で再現するのは難しいし、私はそこを重視していないため、さっくり流す。
 とはいえ画面を真っ黒にできないから、「少女の育成」をどう表現するか悩んだ。本作でもっとも手間取ったパートである

百日紅の下にて
※クレーンゲームの再現パーツ。Illustratorで描画した。

百日紅の下にて
※MMDは顔を見せないことで、ゆっくりとの親和性を高めている。

  • [鯖缶] 東風谷早苗(セーラー服黒ニーソ)
  • [Kanata式] 東風谷早苗【ちび化】 Ver0.95.2
  • [Kanata式] 東風谷早苗(ビキニ版)

 原作の佐伯は、9歳の少女をセックスパートナーに洗脳したことを、まったく悪びれない。すると由美を失って怒るのは愛ゆえか、欲ゆえか、不明瞭になる。そこで「由美さんは幸せでしたか?」の問いに答えられないようにした。
 すなわち佐伯は、自分がほんとうに由美を幸せにできたのか、つねに自問自答している
 由美を男たちに引き合わせたのも、愛を確かめるため。由美は性欲を満たす道具ではなかった(由美も愛していた)。そこへ川地という美少年(異父弟)が出現したことで、佐伯は冷静さを失う・・・と翻案した。

百日紅の下にて
※由美を幸せにできたかどうか、自信がない佐伯

 金田一が「川地くんのことも調べたのか?」と質問したのは、佐伯が川地の出生を知っているか探るため。金田一はいわば「答え」を知っているが、あえて佐伯に昔話をさせることで、佐伯の人柄などを確認している。

昭和16年:佐伯の出征

 被害者(五味)と、3名の容疑者(鬼頭、志賀、川地)の紹介。これも目くらましである。

 原作の由美は陵辱されて、ひどい性病をうつされる。そのため佐伯と触れ合うことができなくなり、自殺。佐伯に真相を告げなかったのは、佐伯と五味の関係が長く、信頼していたためと思われる。
 よく読むと、五味は体調を崩している。五味は失業した鬱憤から由美をレイプするが、由美が自殺して、性病も悪化。真相が露見すれば、佐伯に殺される。こうした背景から自殺をほのめかす発言をしたのだろう。唐突な金田一の種明かしも、それなりに手がかりが示されている。
 しかしドラマ版と同じように、【ゆっくり文庫】でも省略した。【ゆっくり文庫】のミステリーはロジックがしっかりしてると評価されるが、実際は極限まで削っている。

昭和26年(1946):焼け野原の百日紅

 金田一はあっさり謎解きする。しかし本作のテーマは「だれが毒を盛ったか?」ではなく、「どうして佐伯が、由美と川地の関係を見誤ったか?」である。「だれが毒を盛ったか?」というテーマこそ目くらましだ。「ああ、そうだったのか!」と納得してもらうため、私は佐伯の悔悟、迷い、自負、嫉妬を強調したわけだ。

 十分な手がかりを残したつもりだが、納得してもらえただろうか?
 「犯人は二人」で黒幕がマフィンであることや、「犬神家の一族」で井上が金田一に入れ知恵されたことは、おのずとわかると思って説明しなかったが、見落としてしまった人も多いみたい。適切な量の手がかりってのは、難しい

金田一耕助、去る

 使命を果たした金田一は、獄門島に向かうため去っていく。おそらく汽車の時間を気にしているのだろう。戦争で苦労したのに、復員しても苦労してる。復興はまだ遠い。

百日紅の下にて
※パソコンが変わったので、フォントも変わっちゃった

 私がイメージする金田一耕助は、マレビトである。外からやってきて、謎を解き明かし、用が済んだら消える。「またね」とは言わない。もう二度と金田一耕助の厄介にならないことが、幸福だから。

「ではさようなら」

 あっさりした別れは、【ゆっくり文庫】版、金田一耕助の定番になりそう。

雑記

 先だって『相棒 -劇場版IV- 首都クライシス 人質は50万人! 特命係 最後の決断』(2017)を視聴したら、気分が悪くなったのよ。日本は悪いことをした。その罪は精算されてない。テロリストは敗北するが、否定できない正義がある。登場人物は「我が国」と言わず、「この国」と呼ぶ。とことん日本ヘイト。さすがテロ朝。
 映画の中で、かつて日本軍は南方を侵略し、多くの原住民を苦しめた・・・みたいなシーンがあるんだけど、米英が原住民を解放するため戦っていたと言うのか? なぜ原住民が日本兵を支援したのか? 復員の難しさを踏まえたうえで、日本を70年以上も憎むことに、理や情があると言うのか? そのへんを突っ込まれないよう、細部をぼかしている。ずるい脚本だ。

 「隠蔽された真実」という名の虚構──

 「戦争を教えない」「語らせない」「考えさせない」を徹底して、娯楽映画で体制への批判精神を植え付ける。これはもう侵略ですよ。

 そんなこともあって、ニューギニア戦線や戦後復興について語りたかったけど、ぜんぜん入らなかった。ま、私の領分でもないか。
 真夏の話だが、夏まで取っておくのも馬鹿らしいので公開する。夏になったら、また観てほしい。

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