平和祈念展示資料館 / 知られざる戦後の苦しみ

2007年 東京都:新宿副都心 博物館 戦跡・軍事施設
[WGS84] 35.691574, 139.692543 - Google Earthで開く(kml)

新宿に用事があったので、平和祈念展示資料館に立ち寄った。

平和祈念展示資料館は、戦争体験を語り継ぐために設置された常設展示場。恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚者の方々の労苦を、実物資料や模型、写真、映像などでつづっている。戦時中より敗戦後の出来事にスポットライトを当てているのが特徴だ。

平和祈念展示資料館
※水木しげるのイラストでおなじみ

都営大江戸線に乗っている人は、中吊り広告でその名を見たことがあると思う。入場無料なので、いつか見てみようと思っていたのだ。

戦争はいつ終わったか?

1945年8月15日は、玉音放送の放送日にすぎない。
翌日から平和になったのではなく、軍への停戦命令も、降伏文書への調印も、侵攻してきたソ連軍への対応も......なにより諸外国に駐留していた邦人の引き揚げもすべて、この日からはじまったのだ。
それは抵抗が許されない戦いと言えるかもしれない。

平和祈念展示資料館
※新宿住友ビル31階にある

終戦からはじまった悲劇はあまり語られない。政府が周辺国に気を遣っていたことがうかがい知れる。たとえばシベリアに強制抑留された60万人は、スターリンが北海道占領をあきらめる引き替えだったと言われている。
それは、学校では教わらない歴史だった。
いや、歴史と言うには近すぎる。祖父の世代の出来事なのだから。

三波春夫さんのシベリア抑留

ぜんぜん知らなかったけど、演歌歌手の故・三波春夫(1923-2001)氏も強制抑留者の1人だった。
三波氏は満州に従軍していたところで敗戦。当時21歳だった。日本へ引き揚げようとしたがソ連軍によって拉致され、ハバロフスクの収容所に送り込まれる。そこで約4年間の抑留生活を過ごした。
彼の見事な浪曲は、多くの抑留者たちを慰労したという。

平和祈念展示資料館
※資料館の入り口(内部は撮影禁止)

晩年の三波氏がハバロフスクを訪れた映像が上映されていた。
当時の悲惨な生活を思い出しつつも、おだやかな表情の三波氏が印象的だった

展示品の中に、木片を削って作られた将棋の駒があった。
過酷な労働を強いられる抑留者たちが、なんとか娯楽を作ろうとしていたのだ。込められた思いに頭が下がる。平和な時代に生まれたことを感謝するとともに、大したことをしていない自分をどこか恥じていた。

平和祈念展示資料館
※体験コーナー

■平和祈念展示資料館 [The peace prayer display museum]
[住所] 東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル31階
[電話] 03-5323-8710
[料金] 無料
[URL] https://www.heiwa.go.jp/tenji/

大きな施設ではないが、見応えがあった。
戦争に対する見方はいろいろあるだろうけど、「8月15日で戦争は終わった」と思っている人は、一度行ってみるといいよ。