佃大橋をわたって石川島灯台へ
2008年 東京都:都心部 公園 橋 灯台聖路加ガーデンから少し歩くと、佃大橋が見えてきた。
佃大橋
1964年(昭和39年)竣工。戦後に架けられた橋だ。とりわけ無個性に見えるが、橋に詳しい人が見るとおもしろい点が多いとか。まぁ、私の目にはもっともふつうの橋に見えるけどね。
※薄い緑色の佃大橋が見えてきた
※佃島渡船の碑
石川島灯台
佃大橋をわたっていると、対岸に灯台(のようなもの)が見えた。あとで知ったことだが、石川島灯台のモニュメントだった。灯台としての機能はない。相生橋まで最短コースをたどる予定だったが、月島を川縁を歩くことにした。地図で言うと「佃」。かつて「石川島」と呼ばれたあたりだ。
※ありゃ、なんだ?
加役方人足寄場(かやくがたにんそくよせば)の跡地
石川島(現在の佃)には加役方人足寄場という罪人の厚生施設があった。刑務所ではなく、軽罪人・虞犯者の自立支援を目的にしたもので、「鬼平」こと長谷川平蔵の提案によって造られた。
江戸時代に軽い罪を犯して捕縛されると、人足寄場に連れてこられる。ここで労働しながら、大工や左官などの職人技術を学ぶわけだ。賃金はもらえるが、3分の1は出所時のために強制貯金される。中でも「油しぼり」という仕事は重労働で、「油をしぼられた」という言葉の由来になっている。この「油しぼり」の利益によって1866年(慶応2年)に石川島灯台が建てられた。私が見たのは、これを復元したモニュメントだったわけだ。
※灯台の下はトイレだった
当時の灯台も、こんな形をしていたんだろうかね? 灯台好きな私でも、あまり感動はしない。しかしこのモニュメントを見たことで石川島の歴史を学べたのは、まぁ、よかったかな。
月島を歩く
石川島灯台のあたりまでは、古い町並みが残っている。しかしそれを過ぎると、近代的な高層マンションが立ち並ぶ。そのギャップがすさまじい。
※川縁を歩く
※古い町並み:やたら細いドア
※新しい町並み:未来的だ
月島には何度も来ているが、川縁を歩くと印象が変わるな。