観音崎砲台跡めぐり
2008年 神奈川県 戦跡・軍事施設東京湾を外敵から守るため、観音崎にもたくさんの砲台が設置された。
こうした軍事施設があったため、観音崎は長らく一般人の立ち入りが禁止されていた。そのため緑豊かな自然と軍の遺構が、そのままの姿で残されている。
とてもまわりきれない
観音崎公園の地図には、北門第一、第二砲台、三軒家砲台が載っている。
しかしネットで調べたところ、北門第三、第四砲台、南門砲台、大浦堡塁、腰越堡塁、花立堡塁砲台、走水第一砲台など多数の記録が見つかった。
地図に載っていないのは、撤去されてしまったか、見てほしくない(=危険)という意味だろう。
片っ端から見てやるつもりだったが、整備されていない遺構は冗談抜きでアブナイ。それに日も陰ってきたし、なにより疲れたから、軽く見てまわれる程度にした。
※観音崎を歩く
北門第一砲台跡(第1砲台、おんば砲台)
すでに通り過ぎた第二砲台はあきらめ、第一砲台に向かう。事前情報がなければ、そこが砲台跡とは気づかなかっただろう。24cm口径のカノン砲が2門設置されていたらしい。
レンガはフランス積みだった。
※地下に弾薬庫や兵員室があったが、今は入れない
※監守衛舎跡?
海の見晴らし台(第3砲台・旧第一展望園地)
さらに進むとトンネルが出てきた。
短くはないが、長くもないトンネル。向こうが見えているから入って行けたけど、曲がっていたら入らなかっただろうな。
28センチ口径の榴弾砲が4門設置されていたらしい。
※向こう側が見えるから入れる
※揚弾孔:地下の弾薬庫から砲弾をあげて、左右の砲座に運ぶためのもの
※見晴台は崩落の危険があるため、登れなかった
戦没船員の碑(大浦堡塁)
さらに進んで戦没船員の碑を見学する。
第二次世界大戦や海難事故によって失われた6万余人の船員の霊を慰めるとともに、平和への祈りを捧げている。
周囲はだいぶ薄暗くなっていたので、神妙な気持ちになってしまった。
※白亜の尖塔
※『安らかにねむれ わが友よ 波静かなれ とこしえに』
このあたりは大浦堡塁の跡地らしく、公園の片隅に残されたレンガ作りの段差に、堡塁の痕跡を見ることができる......らしいのだが、現場では気づかなかった。
そろそろ帰ろう
シャッタースピードが格段に落ちた。
肉眼で視ている以上に、周囲は暗くなったらしい。三軒家砲台跡まで足を伸ばすつもりだったが、このへんで切り上げよう。山道で真っ暗になったら、どうにもならない。
観音崎のバス停に向かって山を下りていくと、どんどん暗くなっていき、バス停に出るころは夜だった。切り上げて正解だった。
※慌てず、急いで、正確に降りよう
※灯台のカタチをした車止め
見損ねたものは多いが、そんなに未練はない。
もし朝一番に(猿島ではなく)観音崎に来ていたら、もっとゆっくり見てまわれただろうけど、夜が迫ってくる中で見るのもおもしろかった。
次は富津岬に行こうと思う。
- (追伸)2008年11月20日 5日後、富津岬と富津元洲堡塁砲台を見てきました。
- (追伸)2008年12月30日 翌月、城ヶ島の掩体・塹壕跡を見てきました。