立山防空壕 / その時、ここで

2009年 長崎県 戦跡・軍事施設 洞窟・地下
[WGS84] 32.75365, 129.879489 - Google Earthで開く(kml)

 皆を知事室に集め、「それでは」と言いかけたところに、佐世保市長の小浦君が来て、室に入れたら、「広島はエライことになりましたね」という。「今、ちょうど、そのための会議を始めようとしたところだ」と言った途端に、電灯が消えた。壕の外に出て見た。遥か向こうの浦上方面一面が、真黒な煙に包まれ、赤い火の手はまだ見えなかったが、濛々として大火事となっており、ずっと高いところまで雲のような煙が立ちこめていたのである。しかし、眼下の旧市内にはまだ何事も起こっていない。

 室に帰ると、すでにドンドン警察の報告がきていた。ピカッと光って大きな爆音が聞こえ、広島の新型爆弾らしいものが落ちたが、管内の被害は軽微、人畜に死傷はなく、全壊家屋もない。硝子窓はみな割れ、半壊家屋は若干あったが、概ね小破損の程度だという。しかし、よく考えて見ると、それはその筈であった。警察電話が通じ、すぐ報告できるような警察署からの第一報が、被害軽微、人畜に死傷なしとしてくるのは、もとより当然のことであった。

 しかし、ある程度のことは、爆発直後すぐに、つぎつぎと判っていった。

永野 若松 長崎県知事の証言(長崎県警察史 下巻より抜粋)

 これは1945年(昭和20年)8月9日の原爆投下時、長崎県防空本部にいた県知事の証言である。
 爆心地から約2.7キロ離れていたため、爆心地の状況をすぐ把握できなかった様子がうかがえる。考えてみると恐ろしいことだ。つまり爆発を目撃した者はみな死んでおり、報告できなかったわけだ。

立山防空壕
※立山防空壕:3つの入り口がある

不気味な洞内

 長崎県防空本部は現在、立山防空壕として一般公開されている。入場無料で、私たちが訪れたときはほかに客はいなかった。土くさくない。古びているが、不衛生ではなさそう。でも怪我したら危険な感じがして、とても緊張する。

立山防空壕
※パイプ状の洞内

立山防空壕
※たぶん、当時の電球はもっと暗い

立山防空壕
※創造力がある人は、こない方がいいかも

立山防空壕
※この先は行けない

立山防空壕
※どのくらいの時間なら堪えられるだろう

立山防空壕
※大本営に送られた電報などが展示してあった

立山防空壕
※この通路は立ち入り禁止

立山防空壕
※地上まで、相当距離があるはずだが

立山防空壕
※倉庫のようだ

 知事の回想が印象的だった。
 そんなに深い洞ではない。規模で言えば、赤山地下壕の数分の一だろう。なのに不気味さに圧倒される。ここが地中と言うこともあるが、やはり戦時中に使われていた事実が強く作用している。
身の引き締まる思いだった。