甲府城(舞鶴城)を見学 / 天守閣はもうないが
2009年 山梨県 城・城址朝、ホテルをチェックアウトして甲府駅に向かう。
町の向こうに塔が見えて、なんだろうと思ったら、舞鶴城公園だった。甲府城址である。ほどよくガイドさんが見つかったので、手短に、しかし十分に案内してもらえた。
※商店街にあった甲府城の模型(あとで想像の産物とわかる)
※あれはなんだ?
舞鶴城公園・甲府城址
古くは甲斐府中城、一条小山城、舞鶴城、赤甲城などと呼ばれた甲府城。武田信玄が築いた城ではない。築城は信玄の死から10年後の1583年(天正11年)で、築城主は徳川家康だ。と言っても、徳川の天下で築かれた城ではない。詳しいことは各自で調べてほしい。
1904年(明治37年)より「舞鶴城公園」として一般開放されている。
※舞鶴城公園の濠
※濠に鳥がいた
※けっこうな勾配の階段
※恩賜林記念館
公園内の恩賜林記念館で資料を見ていたら、無料のガイドさんがいることに気づき、案内してもらうことにした。電車の出発まで時間がないことを伝えると、要点をうまくつないで、甲府駅の方へ誘導してくれた。法隆寺のときと同じで、ガイドさんがいると助かる。石垣の積み方の説明がわかりやすかった。
※立派な石垣
※謝恩碑(謝恩塔):総高30.3メートル
※本丸に現存するのは天守台のみ
※天守台からの眺め
天守はあったのか?
甲府城の天守は、写真などの資料が残っていないそうだ。そもそも天守があったかどうかも、確証がない。
「天守を再建できれば、いい観光資源になったでしょうね」と私が言うと、
「謝恩碑があるから、再建はしないと思うよ」とガイドさん。
本丸に屹立する石の塔(謝恩碑)は、天守の代用品ではない。明治期に甲府が水害に見舞われたとき、明治天皇は復興のため皇室の山林を供与された。これを記念して建てられた謝恩碑を、観光のために撤去するわけにはいかない。そうだったのか。
※2004年(平成16)に再建された稲荷櫓:うしろのガスタンクが気になる
※稲荷櫓の内部
舞鶴城公園のとなりに歴史公園があって、いろいろ展示があるらしいのだが、もう出発しなければならない。武田神社まで足を伸ばす余地もない。甲府の観光に、もっと時間を取っておけばよかったな。
※甲府駅の近くまで誘導してくれた
まぁ、今回は今回の旅を楽しもう。
私たちは甲府駅から中央本線で、小淵沢に向かった。