引退の日

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──近所にあった中華料理屋が閉店した。
いつか食べてみようと思いつつも、ついつい行きそびれていた店だ。閉店に際して、写真のような貼り紙がされていた。読むと、この店が大往生したことがわかる。
(ここの店主は、35年も鉄鍋をふるってきたのか!)
それこそ、健やかなるときもあれば、病めるときもあっただろう。
「料理屋なんてやめたい」と思う夜もあっただろう。
「料理屋をやっててよかった」と思う日もあっただろう。
長い歳月の中で起こったであろう数々のドラマを、勝手に想像してみる。この紙を貼ったときに、店主の胸に去来したものはなんだっただろうか?
フリーランスである私に、定年はない。
私が望み、世間が必要としてくれるなら、死ぬまで働くことができる。しかし逆に、私が衰え、必要とされなくなれば、その日が私の「引退の日」となる。その日はまだ遠い未来かもしれないが、いつか必ず訪れる。
結局、1度も訪れることがなかったこの店に、私はどれほどの愛着も感じてはいない。しかし「老齢退職」というカタチで引退できた店主については、妙な思いを抱かずにはいられなかった。
──その後。
この店は、別の名前の中華料理屋に生まれ変わっていた。戸口からのぞくと、若い夫婦が切り盛りしていた。
彼らが、引退した店主の関係者かどうかはわからない。単に跡地を買い取っただけかもしれない。
味見してみようと思ったが、やめた。
たぶん私は、この店にも行かないだろう。しかし不思議と嬉しい気持ちになってしまった。
それは、焼け跡に若葉の芽を発見したような、そんな気持ちだった。

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