毒見役も、かつては重要な仕事だった。
地味だけど、要人を守っているという誇りはあっただろう。
──しかし時代は変わった。
安全に毒を検出する装置が開発されて、労働者の権利は保護された。
そしてある日、毒見役は上司に呼びだされ、こう言われるのだ。
「オマエ、いらね」と。
日頃から「転職してぇ」とか「この仕事は意味がないよなぁ」とかこぼしていた毒見役も、こうなるとあわれだ。いのちを賭けて修得した技術は、履歴書の特技欄に《毒で死にません》と書かれるのみ……。
半年後には、どっか遠い空のもとで、毒に苦しんでいた日々をなつかしく思い出すことだろう。
……急ぎの仕事、ツライ仕事、わけのわからない仕事。
これらは、毒だ。
本来なら避けるべき、やむを得ない状況だ。
しかし、そこに困難がある以上、誰かが立ち向かわなければならない。
困難に立ち向かい、これを征服することで、職人は評価される。
では……もし、毒(困難)がなくなったら?
当然、言われるだろう。
「オマエ、いらね」と。
こうしてスーパー職人は、ただの職人にもどる。
よかったじゃないか! 苦しみから解放されたんだ。
もう、ツライ仕事はない。徹夜することもない。
これこそ、望みどおり。なにを泣くことがある?
ほかの人がもっていない、自分だけの技術を修得する。
それはつまり、「オマエ、いらね」と言われる可能性を受け入れること。
なにかに賭けるということだ。
──世の中の評価は相対的だ。
昨日まで価値あると言われたものが、今日はゴミ箱につっこまれている。
そんなの、よくある話だ。
なにかに賭けるには、リスクが伴う。
リスクを怖れて、なにもしないわけにはいかない。
ニュートラルのまま歳をとる方が、よっぽど危険だからだ。
世の中は相対的でも、人生は絶対的だ。やり直しはきかない。
絶対の自信なんて、あるわけがない。
それでも信じて、進むしかない。
しかし……信じすぎてもいけない。このあたりが難しい。
とにかく歩いていくのだ。しっかりと、目を開けて……。