3部作の完結編。
私は(他人に命令されて)我慢するのはイヤだ。
しかし(自分の意志で)我慢するのはかまわない。
こーゆーとカッコイイのだが、現実は複雑だ。
好きでした我慢も、それが自分の意志によるものか、周囲を気遣った結果なのか、見分けることは難しい。もしかするとそれは、遠回しな強制だったのかもしれない。ほんとうに自分の意志で行動しているかどうかは、あんがいわからないもんだ。
──自分の意志で我慢している。
危険なニオイがするよね。
でもまぁ、本人が納得しているなら、放っておこうじゃないか。
そんな中で、私はひとつの哲学を身につけた。
これが、このシリーズの本題。
つまり、我慢はスルものではなく、サセルものなのだ。
言い換えるなら、他人に強制させた方が勝ちなのだ。
たとえば、2人の人間がいて、1個のいちごがあったとする。
もし、あなたが本気でいちごを食いたいなら、我慢スルナ。我慢サセロ。
「それじゃ、相手に悪いよ……」とゆずってやるのは簡単だ。気分もいい。ちっぽけな喜びと交換できるなら、それもいいだろう。
つまり、本気じゃなかったんだね。
本気なら、我慢スルナ。我慢サセロ。
「そんな風に争うことは好ましくありません。」
という声もある。
「私は争いたくありません。いちごはゆずります。
ひとを押しのけてまで食べたいとは思いません!」
──そうなのだ。
我慢するのが好きな人がいる以上、我慢させることは悪じゃない。
相手だって、大好きないちごを取り上げられて満足しているはずだ。
じつは、双方合意の上なのだ。
「そんなことありません。
ほんとうは、私だって、いちごを食べたいです!」
と相手が言ったら、にっこり笑って、ゆずってやれ。
きっと、相手はいちごを食べないだろう。
我慢サセロ
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