果実をとる方法 【鳳凰篇】
文章を書き始めたのは、高校2年(1987年/16歳)の頃だ。
もう、人生の半分以上(18年)を費やしたことになる。それだけの時間をかけて、ただの1篇も完成していないのかというと、そうでもない。
友人Gと共同執筆していたのは大々長編だったが、もともとの私は短編好きだ。ロッド・サーリングや星新一のファンなのだ。よって、短い話をたくさん書いてきた。
最後まで読める小編も……あるにはある。
《では、なぜ発表しない?》
また、いつもの悪魔がやってきた。
《伊助よ、目を開けてよっく見ろ。時代が変わったのだ。
個人が文章を発表する場所なんて、幾らでもある。
身元を隠して発表することさえ可能だ。
おまえは、職業としての小説家を目指していないと言ったな。
では、なぜ発表しない?》
彫刻刀で刻み込むように、悪魔は語りかける。
《恥ずかしい? 自分が納得できてない?
趣味だからこそ、好きなようにやらせてくれ?
おいおい、よしてくれよ。
おまえは、なにを見てきたのだ?
こそこそ書きつづけても、果実は手に入らない。
わかっているだろう?
果実をとる方法は、1つしかない!》
振り向くと、もう悪魔はいなくなっていた。
交渉も、言い訳も受け付けないらしい。つれないヤツだ。
……果実をとる方法。それは、歩きつづけることだ。
ゆっくりでも、まちがってもいい。転んでも、迷ってもいい。
とにかく歩きつづける。
決して立ち止まらない。なにかを待たない。言い訳を探さない。
80歳であろうと、入院していても、明日死ぬとしても……同じだ。
効率的ではないが、しかしこれが唯一確実な方法なのだ(と思う)。
なんのことはない。いろんな本に書いてある「ありきたりの教訓」だ。これを理解するために、十数年を費やしてしまった。阿呆な話だ。
というわけで、私はいまここにいる。
小さくてもいい。拙くてもいい。とにかく文章を書き上げ、それを発表してみることにした。ただの日記ではなく、エッセイ風の、なんらかの感動があるものを書いてみたい。
まずは100篇、そして300篇もつづければ、なにかが見えてくるかもしれない。
その先に……なにがあるのか?
まぁ、なにもなくてもいいや。とにかく歩いてみよう。
いろんな景色を見ながら。いろんな人とお話ししながら。
好きなことをしているときは、その過程さえ楽しいのだ。
《どっとはらい》