千の貌をもつ善意

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仕事で、いやーなヤツに出会った。
おかげで、週明けから余裕がなくなり、日記が更新できなかった。
まったくもって不本意な展開だ。
いろんな事情があって、この仕事は断れない。
我慢するだけの価値がある。
……なんだけど、ムカつく相手だ。
殴ってやりたい人間に出会ったのは、4年ぶりだ。
あまりにもムカついたので、昨日、サシで話す機会を作ってみた。
「なんか、嫌われることしましたかね?」
……彼の返答は、非常にくだらなかった。
概要とまとめると、自分を守るためには攻撃的な性格にならざるを得ないという話だった。まぁ、その性格によって、周囲の態度は硬化し、支援されず、評価されず、守りたい自分がますます危機に瀕しているわけだが……それは言っても詮無きことだった。
(どうせ、あと3週間で縁が切れてしまう相手だ)
私は理解と同情を示し、賞賛を送っておいた。


彼の言動には、ものすごく悪意を感じる。
しかし本人の中に悪意はない。
彼にとっては、(会社や自分への)善意に基づく行動なのだ。
では、悪意とはなんだろう?
悪意とは、対象者の中ではなく、それを見ている観測者の心の中に生じる印象なのだ。
この世に1人しか人間がいなければ、悪意もまた存在しない。
人間が2人いれば争いが起こるのは、悪意を感じる相手ができるからなのだ。
「自分のことしか考えない」という意味では、私も彼も同じだろう。自分のために他人を擬製できるところも、まぁ、同じかもしれない。細かな差異はあるだろうけど、内側から見ればそう変わらないと思う。
つまり、私もまた、周囲に「悪意ある人」と見られている可能性がある。
というか、そう見られていると感じるときがある。
誤解があれば解くよう努力するけど、行動そのものを変えることはない。なぜなら、私もまた善意に基づいて行動しているからだ。
この世に悪意などない。
あるのは、千の貌をもつ善意だけだ。

それがわかっても、この嫌悪感が消えるわけではない。
しかし幾ばくかは、心の平静さを取り戻せたと思う。

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