考えること、書くこと、完成させること

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私は、考えることが好きだ
なにかが見えると、その色、相、質、意義などについて考えてしまう。なにも見えないときは、なぜ見えないのかを考える。考えることは楽しい。スポーツマンは、身体を動かすことが快感であるように、私は脳みそを動かすことが快感なのだと思う。
しかし脳ミソには限界がある。
同時にたくさんのことを考えていると、1つずつの輪郭がぼやけてしまう。
「考え」とは、パソコンのファイルみたいなものだ(←実際には逆)。
展開して、編集して、保存する。
この繰り返しで「考え」は熟成されていく。
しかし保存スペースには限界があるため、編集中のファイル(考え)が破損したり、忘失してしまうのだ。
……なので、文章にする。
文章を書くと、さらに「考え」がまとまってくる。
書くことと考えることは、ほぼ等しい行為となる。
したがって私は、文章を書くのが好きだ、とも言える。
ところが、文章もまた散乱する傾向にあった。
教科書のすみ、ルーズリーフ、付箋紙、パソコン、ネットワーク……。
道具が便利になればなるほど、文章はどんどん散らかっていった。
なぜ、散らかっていくのか?
それは、考えに完成がないからだと思う。
考えとは、どこまでも無限に広がっていくガン細胞みたいなものだ
どこかで完成させなければ、どんな容器でも埋め尽くしてしまう。
だが、完成とはつまり、考えを止めるということだ
考えることが好きな私に、どうして考えを止められるだろうか?


というわけで、blogである。
blogにアップした時点で、考えは1つの完成をみる。
また、blogにアップするために、考えをまとめることができる。
そして、blogにアップすれば、その考えを忘れることができる。
あるいは、その考えの先に進むことができる。
自分の中にあったものを外に出すのは恥ずかしいが、爽快感もあった。
したがって私は、ブログで日記を書くのが好きだ、と言える。

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