いま、ちょっとハードな仕事をしている。
もうすぐ終わるんだけど、ほんとうに大変だった。
……振り返ってみると、じつに無駄が多い。
うまく進められれば、この半分くらいで済んだだろう。
だが、私に落ち度はなかったので、かかった分はきっちり請求する。心苦しいところではあるが、ソレはソレ、コレはコレだ。
どうして無駄が多かったのか?
この数日、私はその理由を探しまわった。
すると、絶望的な構図が見えてきた。
つまり、こーゆーことだ。
発注者は「壱万円のステーキを食べたい」と言った。しかしステーキは千円で仕入れられる。九千円の儲けになるはずだった。
ところが、発注者は次から次へと要求を変えてしまった。
ウェルダンで焼いたあとにレアにしろと言い、焼くまえに焼き上がりを見せろと注文した。厨房は大騒ぎとなり、私が呼び出された。
そして、指定どおりのステーキが供された。
かかった費用は、ほんとうに壱万円。しかしお味のほうは、千円の価値もないだろう。もっと美味しくて、栄養ある食事を、たくさん作れただろうに……。
しかし発注者は喜んだ。
望んだとおりのステーキだから、喜んでもらわなきゃ困る。しかし会社の資産にはならないから、彼の仕事も評価されないだろう。そういえば、発注者はよく文句を言っていた。
「ぼくは会社に、きちんと評価されていない!」と。
「そんな阿呆な発注者とは縁を切れ!」
「きちんと工程を理解してもらうべきだ!」
という意見もあるだろうが、さにあらず。
彼が愚かであるがゆえに、多くの仕事が受注できているのだ。
教育するなんて、とんでもない。
無意味な仕事も多い。ストレスも高い。
しかしその分、お金を払ってくれるのだ。
ならば四の五の言わず、言うことを聞くしかない。右といえば右を向き、左といえば左を向く。それが仕事であって、意味や価値を問うことではない。
もちろん、無駄はよろしくない。
しかし無駄があるおかげで、食べていける人もいる。
地球には優しくないが、これが現実だ。
私はもうすぐ去る。
また呼び出されるかもしれないが、それまでは心安らかに暮らせるだろう。