閉鎖型コミュニケーション

2004年 哲学 mixi 思考実験
閉鎖型コミュニケーション

なぜ匿名なのか?
なぜ足あとを残したくないのか?
なぜ足あとを不気味に思うのか?
その根底には、「他者への強い不信感」があるようだ。

あなたは、他者(未知なる人)をどう認識しているだろうか。

A.楽しみなもの
  →価値観が合えば同士。仲間が増える。
  →価値観が合わなければ、自分を変えるキッカケになる。
  →私を敏感にして、考えさせ、強くしてくれるもの。

B.危険なもの
  →なにをするかわからない。話が通じない。不安定要素。
  →誹謗中傷、個人情報の暴露、人間関係を壊す可能性。
  →拒絶することで、関心をひきたくない。
  →関わりたくない。なるべく遠ざけておく。

Aと答えた人は牧歌的すぎる。ちょっとは警戒した方がいい。
Bと答えた人は神経質すぎる。ちょっとは安心してもいい。
まぁ、AとBの中間が理想なのだろうね。
しかし現代人は、圧倒的にBにかたよる傾向がある。

現代人は、トラブルを解決するより、切り離すことを選ぶ。
誰だってトラブルは避けたいし、巻き込まれたくない。
トラブル(を起こす可能性があるもの)は遠ざけておきたい。

他者とはつまり、トラブルの元凶だ。
だから、他者との接点は減らした方がいい。
  出歩けば、トラブルをみずから招くことになる。
本性は隠して、その動きを監視すべきだ。
  不穏な動きがあれば、相手を切り捨てよ。
それができなければ、匿名を捨てて離脱(リセット)する。

他者を警戒するの考え(B)は、決してまちがってはいない。
しかし他者がもたらす恩恵(A)だってあると思う。

他者への強い不信感と、他者とのつながりを求める気持ち。
相反する要素を共存させる工夫の1つが、SNSであるとも言える。

これほど手軽に、安全に、他者と出会える仕組みはない。

その中においてさえ、防護服を脱げない人がいる。
そのことを責めるつもりはない。
私だって匿名だし、言動には注意を払っている。

私は、A(開放型)がよいとも、B(閉鎖型)が悪いとも思っていない。
要するにバランスの問題だ。
どこでバランスをとるかは、各位の事情や考えもあるだろう。

ただ、この日記を読むことで、あなたの考えにさざ波が起こり、新たな出会いが生まれてくれたなら . . . とは思っている。

※写真は、究極のB(閉鎖型)イメージ。