脳内彼女

2004年 哲学 思考実験
脳内彼女

結論から言おう。私は脳内彼女を肯定する。

「いいじゃないか、ヴァーチャルな彼女だって!」
今夜は、私がそう思うに至ったエピソードの1つを紹介したい。私の友人・Eの話だ。

Eは、私の交友範囲でもっともオタクな人物である。
いわゆる「引きこもり」ではない。むしろ私より活発に外に出て、人に会い、人と交渉する。イベントに参加したり、手伝ったり。ぶっきらぼうだが、正式な礼節をわきまえている。

これらはすべて、趣味を満たすための行動だ。
ほんとうは人嫌いであり、厭世観が強い人物である。しかし世の中と接点がないと、必要な情報や資料が手に入らなくなる。趣味が趣味だけに、変人として警戒されることも避けたい。だからEは、人との接点を作るし、維持もする。かなり変わった性格だといえる。

そんなEに、生身の彼女はいらない。
必要なのは同士であって、イチャつく相手じゃないのだ。しかしEも健康な男子だ。女性への思慕がないわけではない。Eはそれを処理するために、脳内彼女を作った。

私はもちろん、《彼女》にあったことはない。名前も聞いてない。
だから、どんな女性なのかはわからない。しかしどうやらEは、《彼女》とうまくいっていないようなのだ。
──脳内彼女とさえ、相思相愛になれない。
ちょっと考えにくい話である。
断片的なEの話から想像されるのは、こんなイメージだ。

電車のボックス席に座っている、1組の男女。
気が遠くなるほど長い旅路。ときおり膝がふれるが、会話はない。
男は本を読んでいる。女は窓の外をながめている。
ガタゴト電車がゆれる……。

Eが言うには、自分に惚れるような女は想像できないそうだ。
仮にいたとしても、そんな(頭のおかしい)女を愛することはできない。いろんなパターンを考えた末、前述のような関係ができた...らしい。

Eについて語ると長くなるので、大きくハショる。
とにかく《彼女》の存在が、Eを救っているようなのだ。ギリギリのところで、完全な駄目人間になるのを防いでいる。まるで良心が、自分の行動を律しているように……。

Eの容姿をみれば、きっとあれこれ邪推するだろう。
だが、Eと親しくなれば、その人間性の深さに感心するはずだ。想像されるような甘さ、青臭さ、弱さはない。百聞は一見にしかずと言うが、Eは1万個の作品世界にふれることで、自身の哲学を補完している。

これ以上、説明することは難しい。
脳内であれ、脳外であれ、愛する人はいた方がいい。愛する人が実在するのは1番目によいが、実在しないのは2番目によい。だれも愛せないことに比べれば、ずっといい。
私はそう思っていた。

先日、そんなEから連絡が入った。

結 婚 す る こ と に な っ た ら し い。

あぁ、人生はなんて素晴らしいのだろう!!