加減できてる?
2004年 生活 食事卵かけご飯を食べようと、卵をといて、醤油を垂らした。
あ……と思ったときにはもう遅い。
醤油が入りすぎて、小鉢の中は真っ黒になってしまった。
そういえば、東急ハンズで一滴ずつ注げる醤油差しが売られていた。
あれなら、微妙な加減は必要ないな。
ふと、小学生のころ、同じことで親父に注意されたことを思い出した。
私は醤油差しの空気孔をふさいで注いでいた。こうすると一滴ずつ注げるから便利なのだ。親父はこれを厳しく注意した。
「手を抜くと、加減ができないオトナになるぞ!」
──すみません。お父さん。
そんなオトナになってしまいました。
とき卵は卵焼きにして、納豆を食べることにした。
最近の納豆には、醤油タレが付属している。
なので、醤油を入れすぎる、という失敗はない。
よく見ると、醤油タレの入った袋はマジックカットだった。
手で切りやすい包装技術で、パックマンのようなマークが入っている。
勢いあまって中身をこぼすことも、ハサミを使う手間もない。
便利なもんだ。
便利であることさえ、気がつかなかったよ。
寝る前にシャワーを浴びる。
昔はシャワー温度を合わせるのが難しかった。
熱すぎず、冷たすぎず。ピタリと適温になったときは、シアワセすら感じた。
それが今じゃ、ボタンを押すだけだ。
◎
……例を挙げればキリがない。
私たちは、「微妙な加減を要するもの」を遠ざけている。
そして、「オンとオフで済ませられるもの」に置き換えている。
文明の進化と人間の退化は、コインの裏表というヤツだろうか。
……さらに考えてみる。
私たちは、「微妙な加減を要するもの」を遠ざけている。
たとえば、人間関係は?
きちんと加減ができているだろうか?
──小鉢の中は、醤油で真っ黒だった。