REVOLUTIONS

2004年 哲学 無力感
REVOLUTIONS

「学習性無力感」をいかに退けるか……。
それが、このシリーズのテーマだった。

概念だけ聞いても、よくわからない。
実例を目の当たりにすると、その根の深さを思い知らされる。
被害者には自覚がなく、すでに苦痛を苦痛と感じていない。

一方で、会社や上司も、単純に「悪」とはいえない。
「学習性無力感」の被害者は、同時に加害者にもなりやすい。
互いに共鳴して、組織全体に広がっていく特徴がある。

うまく表現できなかったが、もう1つイヤな話がある。

それは、「学習性無力感」の知識を得た人は、自分自身をスゴイと錯覚してしまうことだ。
第3者として話を聞けば、全体が見える。
そこにいる人たちが愚かに見えてしまう。
相手が愚かに見えると、自分が偉いと勘違いする。

(あぁ、彼は罠にハマっているね。かわいそうに……)
(わかってないなぁ。キミはまったく見えていないよ……)

そんな状態で話をすれば、拒絶されても当然だ。
第3者の立場から、「前向きになれ!」「目を開けろ!」「自分の意見をもて」といったところで効果はない。
かえって、"話が通じない上司(同僚)"と認識されて、無力感を増幅させるだけだ。

──つまり、私のことだ。

私は会社を興すことで、多くのことを学んだ。
社長という立場には、無力感にひたっている余裕がない。
だから、みんなを社長にすれば、みんなを変えられると思った。
それが、みんなのためにもなるとも信じていた。

しかし多くの人は、変化を望まない。
急激な変化であれば、なおさらだ。
そのことを、トヤカク言ってもはじまらない。

自分の未熟さを痛感した今でも、信念は変わらない。
だれもが、マイライフ社の社長であるべきだ。
独立の先にこそ、ほんとうの協調がある。
従属と依存、受動的な体質では、これから先を生きていけない。

──しかし、私は急ぎすぎたようだ。

急激な変革などありえない。
自分時も時間をかけて、ゆっくりと変わっていったのだから。
一方的に変化を求めるのではなく、みんなと一緒に変わっていこうと思う。
私自身もまた、変わっていけるはずだ。

ゆっくりと環境を変えていこう。
「ゆでがえる理論」によれば、その方がうまくいく。
気がついたら、効力感に満ちている。
そんな会社になれば、ほぼ永続的に、無力感の闇を退けられるだろう。

環境によって、人間は左右される。
しかし環境を選ぶのもまた、人間なのだ……。

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