知と愛

2005年 哲学 物欲
知と愛

「知る」と「愛する」は、同一の精神作用である。知らないものは愛せない。愛したものは知りたくなる。この連鎖が行きすぎると、マニアになる。愛しすぎて、知りすぎて、もう自分を制御できない状態だ。私の認識では、苦しい状態である。

物を知るにはこれを愛せねばならぬ。
物を愛するにはこれを知らねばならぬ。
西田幾多郎(哲学者)

いい写真を撮ろうと思う。被写体の魅力を引き出そうとする。被写体のこと、魅力的という概念について考える。被写体をもっと詳しく知ろうとする。注意力が高まり、その変化や特徴に気づくようになる。知れば知るほど、愛するようになる。愛すれば愛するほど、その魅力を引き出すアイデアが浮かぶ。

アイデアが浮かぶと、それを具現化できない自分を恥じるようになる。そして自分を鍛えはじめる。被写体の魅力を引き出せる自分になろうとする。

気に入った写真が撮れるようになると、他者と比較しはじめる。同じ被写体を撮影しても、ちがう写真になる。つまり、ちがう魅力が引き出されているわけだ。

被写体に、自分が見逃していた魅力があることにショックを受ける。
「自分の愛情が足りなかったのか?」と自問する。
「自分の目は、ほんとうに被写体を見ていたのか?」と悩んでしまう。

......こうなると、ヤバイね。

オタク生活から逃げ出して、なるったけ淡泊に生きてきた。物事には深く立ち入らない。執着しない。「知る」と「愛する」は連鎖しやすいからだ。いちいち愛していたら、やってられなくなる。同時に、たくさんのものは愛せない。

一眼レフは、そんな私の防波堤に穴を空けてしまった。この穴を塞ぐつもりはないが、決壊させるわけにはいかない。

うまくコントロールしなければならない。