その他大勢

2005年 哲学
その他大勢

──1988年。
高校生(17歳)の私は、こんなことを考えた。
「怪獣が出現したら、自分はどこにいるだろう?」

  光線銃で勇猛果敢に戦う隊員のひとりか?
  最終兵器を披露するアブナイ科学者か?
  怪獣の正体を指摘する、古代血族の末裔か?
  ドラマのすべてを目撃する、巻き込まれ型の一般市民か?

そのどれでもない。
私は、怪獣に踏みつぶされるバスの中にいるだろう。
名前が呼ばれることも、スクリーンに顔が映ることもない。
私は……その他大勢なのだ。

  《自分はどこにでもいる平凡な人間であり、
   特別な才能、境遇、運命などは持ち合わせていない。
   それでもなお、なにか選ばれたいのなら、
   ただひたすら努力するしかない……》

それは、人生を変える"気づき"だった。
この"気づき"があればこそ、今の自分があると言える。

平凡なくせに、なにかに選ばれたいのなら……。
名前や顔もないまま、バスの中で踏みつぶされたくないなら……。
これはもう、努力するしかない。

どんなに努力しても、報われるとはかぎらない。

努力した分、結果が出るのはドラマの中だけだ。そんなラッキーには期待できない。100発打って当たらなければ、1,000発打つしかない。あるいは、1振りで10発打てるように工夫するだけだ。

苦労もなく、トントンと登っていける人もいる。だが気にするな。彼らは特別なんだ。もともと種類がちがうんだ。世界は最初から不公平にできている。前だけ見ていろ。

なんとかして、バスの中から脱出するんだ!
名前と顔を手に入れろ!

──2005年。
気がつくと、周囲の様子がおかしい。

「その他大勢ですから……」
「特別な存在じゃないッス」
「バスの中で踏みつぶされてもかまわない」

そう言い切ってしまう人が、やたらと増えてしまった。

「伊助さんは特別だからいいですよ。
 でも、あたしたちは平凡なんです。
 種類がちがうんです!
 無茶をいって、いじめないでくださいッ!!」

特別? 誰が? どこに? なんで? いつから? どうして!?

「怪獣が出現したら、自分はどこにいるだろう?」

──私は、怪獣になってしまったようだ。

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