俺の屍を越えてゆけ

2005年 社会
俺の屍を越えてゆけ

──1994年。
23歳の私は、千葉県千葉市の小さなパブで働いていた。バーテンといえば聞こえがいいが、その実態はウェイターである。酒を出して、話して、拍手して、いっしょに呑む。そーゆー仕事をしていた時期もある。学校を出ても、まじめに働く気がなかった。プー太郎……モラトリアム時代である。

ある夜、騒がしい若者たちが店に入ってきた。中学時代の友人Bと、その仲間たちだった。5年ぶりの再会である。

中学時代、私とBは1人の女性をめぐって対立していた。いま思うとなんともこそばゆいが、そーゆー時期もあったのだ。結局、彼女は第三の男を選んでしまうのだが、それはまぁ、別の話。

「彼女は、どちらかといえばBを好きだったと思うね。」
私はBに告げた。なぜか? Bの方がカッコイイからだ。
Bの家には父親がいない。母子家庭なのだ。ほかの級友たちが遊んでいたときも、Bは早く帰って、家の手伝いをしていた。そうした苦労は、Bに"オトナの雰囲気"をまとわせていた。喧嘩があると、駆けつけて仲裁にはいるのがBだった。
※喧嘩しているのは私だ。
同じ歳の私から見ると、なんとも悔しい落差だった。

私は、平凡な家庭に生まれた、平凡な男である。特別な能力などない。豊かすぎず、貧しすぎない家庭。ふつーに成長し、ふつーに反抗して、ふつーに納得して……。なにもかもが「ふつー」であることが、イヤでイヤでたまらなかった。そんな私にとって、Bはうらやましいヤツだった。

──Bは答えた。
「片親だったから、おれが伊助より優れているとは思えない。
 片親のおれでも、あるレベルまで到達できたんなら、両親が揃っている伊助は、その倍のレベルに行けるんじゃないのか?
 世の中には、片腕しかなくても立派に生きている人がいる。それなら、両の腕が揃っているおれたちは、そのずっと先まで行かなきゃならんだろ?
 ふつーがイヤなら、まず、ふつーであることの責任を果たせよ。」

言葉もなかった。
自分がいかに底の浅い人間かを、思い知らされた。

帰り際、Bはかたわら女性を紹介してくれた。
「おれの女房だ。」
物静かそうな女性が、軽く会釈する。おなかが大きい。妊娠しているのだ。

……ほんとうに、言葉もなかった。
涙が出るほど……。

私には、特別な才能はない。
あるのはただ、ふつーの身体とふつーの脳みそ。この1セットのみ。特別なことは望まない。ただ、この1セットを使い切ることだけを考えよう。

数ヶ月後、私は就職した。

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