新・毒見役
2005年 哲学 毒味役D氏は誠実なサラリーマン。
そのD氏と、先週末に呑んだ。ほどよく酔ったところで、D氏は同僚のT氏について語りはじめた。
「T氏はね、自分が好きな仕事しかしないんだ。チームも組まない。部下も使わない。上司に指示を求めない。完全なスタンドアロン。
それでいて、ノルマはきっちりこなしている。だから、だれも文句を言わない。厄介な仕事を押しつけられることもない。しかも、自分で焼いたチーズケーキを会社で配ったりもする。孤立しているわけじゃない。自立しているんだよね~。」
D氏は、その人物を褒めちぎっていた。
「でもね、なんかシックリこないんだよ。
T氏のこと、いいなぁとは思うけど、よくないとも思うんだ。ああいう人になるべきじゃない。
そんな気がするんだ……」
不覚にも、私はため息をついてしまった。
(なぜだ? なぜ、気づかないんだ!?)
D氏は、まちがいなくT氏に憧れている。T氏のようになりたいと思っている。つまり、電流を停めるボタンを見つけたわけだ。会社を辞めることなく、苦しまずにやっていく方法があったのだ!
あとは簡単だ。
T氏のようになればいい。少しずつでも近づいていけばいい。だが、D氏は抵抗を感じている。
──なぜだろう?
モラルによる刷り込みもあるだろう。
だが、それ以上に大きいのは、自分の世界を変えることへの拒否反応だ。T氏を認めると、D氏は悲惨ということになる。ようやっと住み慣れた地獄から、抜け出すわけにはいかないのだ。
◎
長い苦悩のすえに、毒見役は仕事を愛せるようになった。
そんな毒見役に、現実を突きつけるのは残酷だ。
「毒は毒だった。毒を楽しめるはずがない。
おれは……悲惨な仕事をしているんだ……。」
そんな気持ちで、毎日を過ごせるだろうか?
苦しむだけの人生なんて、とても受け入れられない。
──それこそ毒だ。
"かざりのない現実"は、心を殺してしまう毒なのだ。
心を殺すくらいなら、毒に苦しむ方がいい。苦しいのは、生きてる証拠だから。よって、毒見役はこう言うだろう。
「もっといい仕事がある? それが手に入るだって? そんなはずはない。なにかウラがあるんだ。だまされないぞ! 出てってくれッ!」
◎
私は、ついクチがすべってしまったのだ。
ごめん。D氏……。