毒見役・征服

2005年 哲学 毒味役
毒見役・征服

──1995年。
DTPの仕事をしていたころ、師匠からこんな教訓を教わった。

  《急ぎの仕事は、忙しいヤツにやらせろ!

意味がわかる人は、かなりの達人だ。
もちろん、当時の私にはわからなかった。
師匠はおかしなことをいうなぁ、と思っていた。
……しかし現実は、師匠のいうとおりだったのだ。

──急ぎの仕事はミスできない。
そんな仕事を、ひまなヤツに依頼すると決まってトラブルになる。ひまで集中力が欠いているうえに、ミスっても対応できると油断しているからだ。
一方、忙しいヤツには余裕がない。さっさと片づけたい。トラブルで戻ってくるなんて冗談じゃない。集中力と未来予測の精度は異様なまでに高まり、短時間で、素晴らしい仕事を仕上げてくれる。

ひまなヤツの仕事に比べると、歴然たる差があった。
より時間をかけた方が、品質が落ちる。
これが、現実だったのだ。

私の師匠は……忙しい人だった。
だから、いつも急ぎの仕事をやっていた。
そんな師匠に教わったから、私も似たような職人になった。

──急ぎの仕事を片づける技術。
当初、この技術はありがたかった。
しかしホドなく、私は、この技術に隠された危険性に気づきはじめる。

忙しいのに、急ぎの仕事をたのまれる。短時間で片づける。
するとまた、新しい急ぎの仕事がやってくる。
気がつくと、机の上は急ぎの仕事でいっぱいになっている。
それらの優先順位は、「急ぎ」「緊急」「超重要」「大至急」「すぐヤレ」の5段階で管理されている。共通点は、そのすべてに「明日の朝まで」という付箋が貼られていることだ。

乗り越えれば乗り越えるほど、ピッチは高まっていく。
やがて耐えきれなくなった技術者が、ミスをして、スピンアウトする。
技術者なんて、消えていくときはアッケナイもんだ。
引き継ぎの書類1枚さえない。
1人、また1人と仲間が消えていく中で、私は生き残った。
それは、よいことだったのだろうか?

──1999年。
仕事インフレに打ち勝つために、私は会社を設立した。
起業することで、私はさらに高いピッチにも対応できるようになった。
耐えきれなくなった会社が、ミスをして、スピンアウトしていく。
1つ、また1つと会社が消えていく中で、我が社は生き残った。
それは、よいことだったのだろうか?

「キツイ仕事(毒)に耐えられるようになろう!」
「伊助さんは、キツイ仕事(毒)が好きなんでしょ!」

そんなはずはないのだが……。

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