我慢シロ
2005年 哲学 我慢前の日記の反対を考える。
「きみは、きみらしく生きればいいんだ!」
と言われて、ところかまわず個性を主張する。
「競わなくてもイイ。もとからオンリーワンなんだよ!」
と言われて、苦労も勝負も避ける。
我慢しないことは、そんなに美徳なのだろうか?
ありのままの自分(わがまま)でいることが最上なのか?
だったら、人間の価値は赤ん坊のときが頂点なのか?
AとBの道があったとする。
Aの道は、つらいけど夢が叶う。
Bの道は、ラクだけど夢は叶わない。
ここでBを選ぶようなヤツは、死んでしまえと言いたい。※未成年は許す。
もう起きなくてよい、働かなくてもよい、争わなくてよい、悩まなくてもよい。
それが望みなら、すぐ手に入るよ。
※こういうと、死ぬのは苦しいから生きているんですと返されるんだよね。
──もう1度、言う。
「我慢」とは仏教用語で「我をよりどころにして思い上がること」だ。
ならば、せめて自分の意志で我慢しようではないか!
つらいときこそ、ニヤリと笑え!
茨の道を避けた連中を馬鹿にしろ! 思い上がれ! のぼせろ!
自分の選択は素晴らしいんだと胸を張れッ!
他人に強制(命令)される我慢は喜んでするのに、自分の意志では我慢できないなんて、どーかしている。