好意の消費回数

2005年 哲学 男と女
好意の消費回数

もしかしたら……?
もしかしたら、好意も同じかもしれない。
人に対する好意にも、消費回数があるかもしれない。

お気に入りの曲でも、繰り返し再生すれば飽きてしまう。
大好きな人でも、たくさんの接点をもてば飽きてしまう
人間にも、見えざるカウンター(消費回数)がついていて、相手と接点をもつごとに1ずつ減っていく。そして、0になったら飽きてしまうのだろうか?

──好きな曲ほど、繰り返し聞いてしまう。繰り返し聞くことで、カウンターは早く減っていく。ならば逆に、頻繁に聞かなければ、より長く好きでいられるかもしれない

たとえば、ラジオやコンビニで耳にしたお気に入り曲も、CDを買って頻繁に聞くと飽きてしまう。もしCDを買わずに、頻繁に聞くことができなかったら、もっと長く、何年も、何十年も、好きでいられてかもしれない。

人間は、この法則を本能的に知っているようだ。
好きなものを、好きでいるために、接点を減らす。
距離を置く。遠ざける。踏み込まないようにする。
……そうとしか思えない行動を、ときおり見かける。

ここに3人の男女がいるとしよう。
女の子AとBが、イケメン男Cにアタックすると思いねぇ。
女の子Aは、猛烈にアタックした。四六時中、一緒にいるようにした。
女の子Bは、ひそかに恋い焦がれた。近づかず、遠巻きに眺めることにした。

結果、女の子Aはすぐに飽きた。
繰り返し再生したため、消費回数が0になってしまったのだ。
女の子Aは、相手のことを知り尽くして、そして飽きた
今は、新しい刺激をくれる男を探しまわっている。

一方、女の子Bはまだ恋している。
接点が少ないため、消費回数がぜんぜん減っていないのだ。
しかし女の子は、相手のことをぜんせん知らない。
じつは、現実の彼ではなく、幻想の彼を好いているのかもしれない

私はたぶん、Aタイプ。
好きになったものに、躊躇したくない。ガンガン攻めて、とことん楽しみたい。
その結果、早く飽きることになってもかまわない。

……なんだけど、なにかが引っかかっている。
音楽と人間はちがう?
恋愛は娯楽じゃない?

いや、そーゆーことじゃない。
もっと別のところに引っかかっている。