消費と発電
2005年 哲学どんなに好きな曲でも、繰り返し再生すれば飽きてくる。
まるで、「消費回数」という見えざるカウンターがあるかのように。
そしてこのカウンターは、人間にもあるのかもしれない。
◎
──もちろん、音楽と人間はちがう。
人間は、接点をもつことで、好意が増えることがある。
1回の接点で、2を消費しても、3の発見があれば、その人の消費回数は減らない。消費回数:無限(∞)というわけだ。
一生つきあえる関係といえる。
これは、ネタが豊富という意味ではない。
ネタが豊富な人は、消費回数も多いかもしれないが、無限ではない。いつかは消費される。しかし発見をもたらしてくれる人は、消費とともに発電されるので、好意が減らないのだ。
そう考えると、じつは音楽も同じかもしれない。
まんぜんと聞くだけなら、消費されるのは早い。
しかし聞くたびに、心にさざ波が起きるような曲は、飽きることがない。
──つまりこれは、聞き手の問題なのだ。
決まり決まった日常でも、新しい発見ができる人は、人生に飽きることはない。どこに行っても、どんな境遇でも、楽しむことができる。
逆に、刺激に反応するだけの人は、どんなものにもすぐ飽きてしまう。
音楽にも、漫画にも、映画にも、ゲームにも、仕事にも……人間にも。
つねに新しい、強い、珍しい刺激がないと退屈してしまう。
◎
私は、「消費者」という言葉がキライだ。
食べ物、工業製品、サービス、娯楽などを、ただ吸い込むだけで、なにも生み出さない……というイメージがあるからだ。私も、市場においては「消費者」だが、消費するだけの人生には強い抵抗がある。
私は、なにかを消費するときに、なにかを発電できる人になりたい。
──たとえば、こうだ。
パンが1つしかないなら、私に食べさせろ。
パンを製造する知恵を授けてやろう。
DVDが1枚しかないなら、私に見せろ。
その楽しみを、100人に伝えてやろう。
1時間しかないなら、私に付き合え。
キミの中になにかを刻み込んでやろう。
……そんな人に、私はなりたい。