常識の探求

2005年 哲学
常識の探求

常識とはなんだろう? 私はこう定義している。

常識とは、他者との衝突を避けるための経験則である。

  • 挨拶する。
  • よくしてもらったら、お礼を言う。
  • 不慣れな場所では、派手な格好や不用意な発言を控える。
  • 勝手にモノを借りない。
  • 約束を守れないときは、早めに連絡する。
  • 相手に迷惑をかけたら、謝る。

これらはすべて、常識である。
常識を持っている人は、他者との衝突が少ない。
常識がない人は、他者との衝突が多い

誰もが、自分は常識人だと思っている。
しかし多くの場合、それは自分向けにカスタマイズされている。

・挨拶しなくてもよい条件がある。
・モノをもらっても、場合によってはお礼は省略できる。
・自分らしい格好や言動は、どんなときでも変えてはならない。

カスタマイズが過ぎると、非常識になる。「このくらい常識の範囲だよ」と油断していると、大きな衝突を生む。
衝突が多いなら、それはもう常識ではない

誰もが、自分は常識人だと思っている。
しかし常識が通じない場面もある。
これはつまり、その場面における常識(他者との衝突を避けるための経験則)を知らないという意味だ。
危険なので、不用意な発言は控えた方がいい。とにかく挨拶して、礼儀作法を守った方がいい。無難な格好にしておくべきだ……。

そう考えると、「常識が通じない」と相手を責めるのはヘンだ
「自分の知っている常識が通じない」あるいは、「この場面を乗り越えるための常識を知らない」という方が正しい。

私も、他者と衝突することがある。
衝突すれば凹む。どっちが悪いかは問題じゃない
だから、注意深く歩いているつもりだが、それでも衝突してしまう。
世界には、私の知らない常識が多い。
仕事には仕事の常識が、ネットにはネットの常識がある。さらには、カスタマイズされた常識にも対応しなければならない。

つまり、言いたいことはこれだ。
常識は、初期装備ではない

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