親子の非干渉

2005年 社会
親子の非干渉

私の知人に、子どもの教育に非干渉なヤツがいる。
つまり、こういうことだ。

私「で、この子には、どんな人になってほしいんだ?」
彼「この子のやりたいようにやらせるよ」
私「? だって、まだ子どもだろ? 教育方針はないのか?」
彼「親の価値観を押しつけたくないんだ」
私「じゃ、AV女優になってもいいのか?」
彼「それを選ぶなら、仕方がないな」

このあとの顛末は、ちょっと掲載できない。私も言いすぎた。
だけど、なにかヘンだと思わないか?
それとも私だけがヘンなのか?

一方、子どもの教育に熱心すぎる親もいる。
ふつうの塾はもちろん、ピアノや絵画の塾にも通わせている。娘さんがどう思っているかは知らない。むしろ気がかりなのは親の方だ。教育費を捻出するために、無理に無理を重ねている。
娘が成人するまで、死ななければよいのだが……。

「娘には、親のようになってほしくない」と彼は言う。
つまり、娘をサラリーマンにしたくない一心で、芸術を教えているらしい。
これはこれで危なっかしい気もするが、まぁ理解できる。

──私はこう思う。
親は、親の希望を託すために、子どもを産むのだ
親の夢、未練、経験、財産を託すために……。
そのために親は働き、戦い、頭も下げる。

「親の都合を子どもに押しつけるな」という意見もある。
では「子どもの都合で親の気持ちを踏みにじってもいいのか」と問いたい。

もちろん、親の考えが間違っている場合もある。
現代、子どもは希少な存在だし、教育に失敗は許されない。
幼児虐待や、それに端を発するトラブルも少なくない。
しかしそれでも……と思う。
親は自信をもって、子どもに道を示してほしい
ゆえに、自分に自信がないなら子どもを産むな、育てるな。
産んだのなら、ふさわしい親になれ。子どもを鏡に、自分を鍛えろ。
それも無理なら……この先の答えはわからない

冒頭に挙げた2つの例を、もう1度見てほしい。
相手に干渉しないことが最善の策とは思えない。

私たち夫婦には子どもがいない。
がんばっているけど、できない。早く子どもがほしいと思っている。
そんな私の焦りが、子どもの教育への憤懣を生んでいるのかもしれない。

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