40万円の掃除機

2005年 政治・経済 友人A 物欲
40万円の掃除機

ふと思い出す機会があったので、日記にしておく。
──1998年(27歳)のことだ。

仕事三昧の日々を送っていた私にとって、土曜日は大切な休養日だった。
ふらふらになって帰ってきて、布団のなかに飛び込む。もう、なにも考えられない。そんなときにかぎって、ガンガン電話が鳴る。マンションや墓地、先物投資を売りつけるセールスの電話だ。

土曜日は思考力がにぶる。なので、つい1件の電話にOKを出してしまった。
それは、1,000円で部屋のクリーニングをするという案内だった。
無料だったら拒否していただろう。「まぁ、1,000円くらいなら」と、軽い気持ちで呼び寄せてしまった。

そしてまた土曜日。
彼はやってきた。手には、自社開発したという、ごつい掃除機をもっていた。彼は部屋中を丁寧に掃除しはじめた。掃除しながら彼は、ハウスダストの性質について説明してくれた。とても興味深い話だった
やがて、話は掃除機へと移っていく。超微粒子を吸引できる掃除機、そのアイデア、特別な機能……。
気が付くと、私から質問せざるを得ない状況になっていた。

「その掃除機って、いくらなんです?」

そこからの展開は見事だった。
「ボクは掃除をしに来たので、掃除機を売りに来たわけではありませんよ」と断った上で、売り込みをはじめた。
「この掃除機は40万円です。しかし○年ローンなら月々×円、1日換算で△円。特殊な装置だから値は張ってしまうけど、その理由は……。」
さらに彼は上司に電話した。携帯を渡され、彼の上司と話す。

「うちの職員が、強引に売り込みしたわけではありませんか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「そうですか。よかった。では、ご購入は伊助さんのご意志ですね?」
「え、えぇ、まぁ……」

気が付くと、あとは判を押すだけという状況になっていた。
そのとき、私を踏みとどまらせてくれたのは、貧乏性だった。大きな買い物をしたことがないので、手が震えてしまったのだ

結局、売買契約は来週にまわしてもらった。
それが精いっぱいだった。仮契約をキャンセルするためのクーリングオフの封筒ももらった。彼は言った。
「これを出されちゃうと、ボクは立場がないんで、よろしくたのみますよ♪」
彼は妻と子どもの写真を見せて、にっこり笑った。

彼が出ていったあと、私はすぐ友人Aに電話して、状況を話した。
「とてもいい買い物なんだけど、どう思う?」
Aは、きっぱり言った。
「その掃除機がどんなものかを説明しないでくれ。
 いいから断ってくれ。キャンセルしてくれ。
 たのむからッ!

小一時間後、私は魔法から覚めた。

それは、巧妙に仕掛けられた罠だった。すべてが計算されていた。
彼を部屋にあげた時点で、私の負けは決定していた
私も口達者な方だけど、プロには勝てなかったのだ。

この日記を読んで、「自分は騙されない」と思う人は要注意だ。
鉄壁の意志や理性なんて、プロにかかれば濡れたウェハースみたいなもんだ。簡単にねじまげ、侵入できてしまう。
声をかけられた時点で50%、返事をした時点で80%、負けている。

汝自身を知れ。汝は決して強くない。
──ゆめゆめ油断めさるな。