人生最後の職業

2005年 生活
人生最後の職業

13歳のハローワーク』によると、小説家は人生最後の職業らしい。
この本の中で著者は、いきなり小説家を目指さずに、ほかの職業で身を立ててからでも十分間に合うと諭している。
教師やプロレスラー、傭兵、アイドル、犯罪者……。
ほかの職業から小説家に転身した例は多い。有名な作家でも、その履歴は紆余曲折に満ちている。
まっすぐ小説家を目指した人がいいものを書ける……というのは、一種の幻想かもしれない。

しかし、そんなオトナの理屈で納得できるような賢いヤツは、そもそも小説家を目指したりしない。
私も、そんな阿呆の1人だった。

──物語を考えるのが好きだった。
小中学生のころは漫画を、高校に入ってからは文章で表現するようになった。当時はPCがなかったので、ルーズリーフに書きまくっていた。学校の授業などそっちのけ。歩いているときも、飯を食っているときも、風呂に入っているときも、物語のことばかり考えていた。
それは……とても楽しい日々だった。

オタクは、みずからの愛の重さゆえに沈んでゆく。
私もまた、社会の底辺へと沈んでいった。
気がつくと、まっとうな就職もせず、フリーターで日銭を稼ぐ暮らしをしていた。鑑賞できる作品は激減したが、その分、深く見るようになった。
PCを手に入れてからは、キーボードを叩く手が止まることはなかった。静止した部屋の外で、太陽が昇って沈み、星が瞬いては消えてゆく。世間はどんどん遠ざかっていった。

──1994年(23歳)。堕落した、非生産的な日々。
しかし人生でもっとも充実していた時期だった。

いろんなことがあって、私は社会に復帰できた。
きちんと働いて、嫁さんもらって、税金を納めている。
社会人としての義務と責任を果たしているとは思うが、それは、いいことだったのだろうか? 引き替えに棄てたものを数えてしまう。
もとより、私はそんな物わかりのいい人ではない。本質的には自分勝手な阿呆なのだ。

だからこそ思う。人生の最後には、やっぱり小説家になりたい。
職業としての小説家ではない。お金を稼ぐためなら、ほかの道を選ぶ。
その意味では、今の仕事も立場も……かりそめの宿に過ぎない。
今をリッパだといってくれる人もいるが、心はときめかない。
それよりも、彼らの声が耳から離れない。

「早く、こっちへ来いよ」と。

……最近、誘惑が強い。

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