All or Nothing

2005年 哲学 果実をとる方法
All or Nothing

果実をとる方法 【青嵐篇】

自由を使いこなせなかった私は、その自由を売り渡すことにした。
つまり、就職したわけだ。
すると今度は、自由がまったくなくなってしまった。社会人になることが、これほど不自由なこととは思わなかった。アニメやゲームを楽しむ時間はぐんぐん減って、私のストレスはぎゅんぎゅん高まっていった。

──いま思うと、要領が悪かったのだと思う。
仕事に対して、もう少し距離を置けばよかった。
60%のパワーで働いても、120%のエンジン全開にしても、もらえる給料に大差はない。80%くらいでセーブできれば、アフター5で同人誌を作ったり、絵を描いたり、ゲームで遊べたはずだ。
世の多くの人たちは、こうした仕事と趣味の両立ができているのかもしれない。「適当に働いて……」という意味じゃない。
「きちっと働いて、きちっと遊ぶ」
私にはどうしても、それができなかった。

そこで、私は趣味を捨てた。200%のパワーで働くことにした。
中途半端になるなら、趣味はいらない。アニメも、特撮も、ゲームも、オモチャも、漫画も、同人活動も……文章書きもやめた。
ただひたすら、仕事に駆け抜ける。
かつて、寝ても覚めても『物語』ばかり考えていた脳みそは、今度は寝ても覚めても『仕事』ばかり考えるようになっていた。

──仕事を水に、趣味を空気にたとえてみよう。
息を止めて水に潜る。水面に顔を出して息継ぎする。水位が上がってくると、息継ぎができなくなって苦しくなる。あっぷあっぷだ。
どうすれば、この状況を解決できる?
息継ぎの効率化? 潜る時間の短縮? 潜らない?
私は、えら呼吸に変えた。これで、水中でも苦しくなくなった。
つまり、仕事の中に、趣味に等しい楽しさを見いだしたわけである

善し悪しを問う声もある。でも考えてみてほしい。
水に潜るために息継ぎするのは、仕事をするために休むのと同じだ。
よりたくさん働くためにテレビを観て、ゲームで憂さ晴らしをする?
働くために遊ぶ……それは正しい。娯楽はそうあるべきだ。
だが……ちがうような気もする。

両立できる人は、こんなことに悩まない。どちらもきちんと楽しめる。
しかし世の中には、割り切れない人もいる。割り切れないまま、大きくゆれつづける生き方もある。
私はそれを、思いっきり片方に振り切ったわけだ。

私は趣味人間から一転、仕事人間になった
内包するパワーはそのまま、仕事に向けられた。
そのことに悔いはない。
だが……これからどうするかが問題だ。

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