拘束に生まれ、自由に死す

2005年 哲学 果実をとる方法
拘束に生まれ、自由に死す

果実をとる方法 【独覚篇】

どうすれば果実を手に入れられるか?
果実の前には、2つの関門がある。すなわち、拘束自由だ。
拘束される(多忙になる)と、好きなことができない。
しかし自由があれば、なんでもできるわけじゃない。
このあたりが、このシリーズのテーマになっている。

──1999年(29歳)。私は起業した。
起業した理由の1つに、自分ブランドの確立がある。
受注生産ではない、自分が出資して作るもの。好きなように作って、それを売ること。
それは、長年思い描いていた夢だった。
私にとっては、文章を書くことと同じくらいの価値があった。

詳しい説明は省く。
私がビジネスにおいて作りたかったものを、便宜上、"これ"と呼称する。
※うちの関係者なら、"これ"がなにを意味するかわかると思う。

"これ"を、みずからの手で作る。
職人ならいいが、経営者としては失格の考え方である。優秀な経営者なら、そんなことはしない。腕のいい職人を雇って、作らせる。
しかし……私は優秀な経営者になりたかったのではない。
好きなようにやりたかったから起業したのだ。

──2000年(30歳)。ふたたびチャンスが訪れた。
やはり詳しい説明は省くが、金と時間の両方を手に入れたのだ。業務契約があるときはできなかった"これ"の開発が、ようやくスタートできる!
"これ"が完成したときが、本当の起業なんだ!

……が、自由とは本当に手強いものだった。
まぁ、20代の鬱憤を晴らすように連日連夜遊び呆けたせいもある。とにかく、"これ"の開発は遅々として進まなかった。
アイデアと時間、技術、金、健康もあるのに……。
やがて私は、かつてのGと同じ轍を踏んでいることに気がついた。
仕事と同じ要領で、"これ"は作れない。
なぜなら、自分の中にゴールがあるから!

半年後、私は業務を再開した。
新しい業務は、人を雇用する必要があった。それはまったく未知の世界であり、ふたたび忙殺されることは明らかだった。
──事実、そのとおりだった。
東に西に駆けまわる中で、しかし私は、ひとつの答えを得ていた。

"これ"は、拘束に生まれ、自由に死す

この言葉の意味は、もうわかっていただけると思う。
──事実、そのとおりだった。
2001年(31歳)、"これ"の第1号がロールアウトされた。翌年、改良が施され、私のビジネスの基幹に収まった。
あれだけ苦労したものが、あっさり生み出された。
もちろん、完全に満足できるものではないが、とにかく"これ"が存在し、ビジネスがまわっていることが重要だった。

1つの成功を経て、私は自信をつけた。
これで、文章を仕上げることもできるだろう。
果実をとる方法がわかった……と思った。

仕事のかたわら、数年ぶりに書きかけ原稿を紐解く。
だが私は、また新しい問題に直面するのだった。

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