スイッチのスイッチ
2005年 政治・経済思考のスイッチを切れば、悩みも苦しみもない機械になれる。
でも、人間でいたいから、スイッチを切れない。
自分で切りたくないし、誰かに切られたくもない。
私は経営者なので、人を雇って仕事をしてもらっている。私がプロデュースする仕事は、つねにクリエイティブで、得るものが多く、喜びに満ちている……とはかぎらない。単調で、理不尽で、意義の感じられない仕事だってある。そういうツマラナイ仕事はなるべく社長が処理している……とはかぎらない。そんな仕事こそ、スタッフにやってもらっている。
すると、スタッフも同じように悩みはじめる。
(この仕事にどんな意味があるのだろう?)と考える。
考えても解決しない。なので、考えなくなる。思考のスイッチが切れてしまう。
──ここに2種類のスタッフがいる。
Aさんはスイッチが切れない。
答えのないパズルを前に、えんえんと苦しみつづける。夜遅くまで働きつづけてしまう。しかしそれを許容できるほど、潤沢な仕事ではない。
私は「スイッチを切れ」と指示するしかない。
Bさんはスイッチが入らない。
もう、なにが来ても考えようとしない。言われたとおりにやるだけ。命令には理由も説明もないと思っている。しかしそれじゃ駄目な仕事もある。
私は「スイッチを入れろ」と指示するしかない。
──あなたはどっちのタイプ?
誤解を恐れずにいえば、自己申告とは逆になることが多い。つまり、「スイッチを切れない」という人ほど考えてないし、「スイッチは切れてます」という人ほど考える傾向にあるようだ。
◎
私の仕事は、彼らのスイッチを見ることである。そこには、まぁ、いろんなテクニックがある。仕事を入れ替えたり、ガス抜きをしたり。ちょっとしたアドバイスで、スイッチを切らずに済むこともある。ちょっとした介入で、仕事の性質を変えられることもある。
1つだけ、わかっていることがある。
スイッチのスイッチだけは、切ってはいけない。