残す勇気

2005年 生活 健康
残す勇気

──私は食事を残さない。

「出てきた料理は黙って食べる。それが男というものだ。」
親父はそう教えてくれた。

ゆえに、食事を残すヤツはきらいだ
やれ○×は苦手だの、やれ好みじゃないだの騒いで料理を残す。これは一種の犯罪だ。
「食べ物をなんだと思っているんだ。いのちなんだぞ!」
注文したなら、火を通したなら、買ってきたなら、最後まで喰うべきだ。

ちなみに、食べ方が汚いヤツもきらいだ
食べ散らかして、しかも残すヤツは最低最悪だ。まぁ、きれいに残したところで、無駄になっていることに変わりはない。だが、食べ物への冒涜は許されない。残さないことはもちろん、きれいに食べることも大切なのだ。
それが、食に対する私の信念だった。

その信念が、今、大きく揺らいできている。

何気なく注文した料理が不味い、しょっぱい、脂っこい、量が多いことがある。
これまでは、無理をしてでも平らげてきた。そのため、おなかをこわしたこともある。好きなものじゃなくて、不味いものを食べ過ぎるのだ。けっこうツライ。
考えてみれば阿呆な話だが、信念とはそういうものだ。

信念に殉じる。その代償は大きかった。
残さず食べることは、もはやリスクであり、いのち懸けなのだ。

「……これは駄目だ。残そう……」
目を閉じて、哀悼の意を表する。
(美味しく食べてやれなくてスマナイ。)
食事を残すという、自分の禁忌を冒す。精神的にもツライ。無理して食べることより、なおツライ。
だが、わかってほしい。

残す勇気も必要なのだ