日常と非日常

2005年 哲学 創作 友人A
日常と非日常

友人Aより、励ましのメッセージが届いた。
曰く、「ショートショートより、通常日記の方がオモシロイ」そうだ。

伊助の日記は、ありふれた日常の中でなにかを発見したり、理解する話が多い。友人Aは、こうした「日常の中にある非日常を描いた話」がお気に入りだった。メールにあった言葉を引用すると「グッと来る」らしい。
しかしショートショートは、非日常・フィクションが前提になる分、おもしろさが減ってしまう。通常日記のような感動はないという。

これは、どう解釈すればいいだろう?

──こんな話がある。
粉末タイプと半生タイプの味噌汁を用意して、味を比べてもらう。
商品を隠しているときは、みんな半生タイプが美味しいという。
しかし商品を見せておくと、粉末タイプが喜ばれるそうだ。
つまり、「こんな粉末なのに、ちゃんと味噌汁の味がする」というプラスの感動と、「半生のわりには、本物の味噌汁には劣るのね」というマイナスの評価が相乗するわけだ。

このエピソードを下敷きに解釈すると、こうなる。

日常は、ツマラナイもの・味気ないものである。
にもかかわらず私の日記では、それらがフィクションのように劇的に描かれる。どーでもいーことに勇気や絶望、喜びが感じられる。
このギャップがおもしろい。

ところがショートショートでは、このギャップが発生しない。
人が死のうと、人類が滅びようとも、「ふーん」で終わってしまう。
通常日記に比べると、物足りなく感じられてしまう。

......と、解釈できる。

私にとっては、実際にあった出来事かどうかは大きな違いだ。
しかし読んでいる側には、両者の区別はない。

たとえばこの日記にしても、本当に友人Aからそんなメールが来たのか、それとも伊助が脳内で友人Aというキャラを作っているのかは区別できない。また区別する必要もない。

つまり、私は日記として書いても、ショートショートして読まれていた可能性はあるわけだ。まぁ、私自身も、日記にあらずと言っているくらいだから、それが悪いわけじゃない。ただ、ちょっと引っかかるよね。

──友人Aはいう。
「通常日記のスタイルで、ショートショートを書いてみてら?」
そいつぁ、難しい注文だよ。

(902文字)

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