夏コミの思い出

2005年 娯楽
夏コミの思い出

ちょっと夏コミの思い出を語ろう。
今はどうだか知らないが、昔の夏コミはすごかった。

1992年(21歳)、夏 第42回コミックマーケット

オタク人口は爆発的に増えていた。コミケ当日、晴海会場に押し寄せた参加者の数は、準備会の予測をはるかに上回った。延々とつづく入場待ちの行列。折からの猛暑が加わり、数百人が熱中症で救護室に運ばれたのだ。
のちに「ジェノサイドコミケ」と呼ばれた地獄に、私はいた。

当時、私は右も左もわからない新人オタクだった。
そんな私を、先輩オタクが細かく、厳しく指導してくれた。

  • 折りたためるバッグを用意しろ。
  • 帽子、タオル×2、ハンカチは必須。ビーチサンダル禁止。
  • ペットボトルを凍らせておけ。小銭はもつな。
  • はぐれた場合はここに集合。気分が悪くなったらここへ……

細かな指示に、私は内心「うるせぇ」と毒づいていた。
しかし現地に着いてみると、それらの指示が的確であったことがわかる。

炎天下にさらされて、次々と倒れていく若者たち。会場にたどり着いても、担架で運び出されたり、片隅でぐったりしている人を見かける。さらに仲間とはぐれる者、汗などで本を台無しにした者もいたようだ。
夏コミは、とても過酷な世界だった
準備不足によって自滅していく人たちを見て、先輩は言った。

「ド素人が……」

あのとき、先輩が言ったセリフを忘れられない。

「イベントで倒れるのは、自分をわかってない連中だ。
 おれたちは弱い
 日ごろ運動してないから、体力がない。
 まともな職についてないから、金も時間もない。
 だから、準備する
 日差しを避け、過労を避け、カラ振りを避ける。
 失敗している余裕はないんだ!」

先輩は、ふだん周囲に与える印象についても気を配っていた。
隣人や同僚から変人扱いされれば、さまざまな作戦行動に支障を来すことになる。無用なリスクは極限まで避けたい。ゆえに先輩は、電車の中やレストランでオタクな会話をすることを嫌った。とにかく目立ちたくないのだ。

弱者であることを自覚し、それゆえに油断しない。
ものすごく賢く、そして立派のように見える。
だが、それだけの苦労を払ってやっていること(買ってきた同人誌)を見ると、なんだかなぁとは思うけどね。

「オタク」という言葉が市民権を得て久しい。
もはやマイノリティとは言えなくなったオタク族。

だが、弱者は油断するな。そして、強者はおごるな

今日から3日間。
第68回コミックマーケットが開催される。

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