名実ともに

2005年 政治・経済
名実ともに

会社とは、1つの作品だと思う。
作った人の個性や理念が反映されるものだし、そうあるべきだと思う。人間に個性があるように、会社にも個性がある。

私の会社は、「名より実を取る」という方針で設計された
私にとって会社とは、自分の労働をお金に換えるための道具だった。仕事をするために(お金を生むために)不要と思われるものは徹底的に排除した。
──夢はないのかだって?
道具としての会社こそが、私の(私たちの)夢だったのだ。

私の会社は、もともとフリーランスの集まりだった。
フリーランスとはつまり、技術はあるが、ふつうに勤務できない人たちと言える(私もその1人)。
ふつうに勤務できるなら会社員になるだろうし、技術がなければアルバイターでしかない。そんなフリーランスのために、仕事を受注、契約、精算する仕組みとして作られたのが、弊社だったのだ。
ゆえに、よけいな飾りは一切ない。
まぁ、今となっては私自身が“飾り”のようなものだけどね。

ともあれ「名より実を取る会社」を追求した結果、私の会社は特異な面をもつことになった。これを具体的に説明することは難しい。誤解を恐れずにいえば、「ふつうの人が聞いたら首をひねるような会社だが、報酬は高い」となるだろうか。

これまでは、それでよかった。
しかし規模が大きくなり、固定的な従業員の割合も9割に達してしまったので、「実だけの会社」というわけにもいかなくなってきた。計画中の第二の旗揚げのためにも、それなりの体裁は整えなければならない。

とはいえ、理念として外してきたものだけに、今さら整えるのは難しい。
野人にオシャレを教えるようなものだ
なにが最低限なのか、どこから不要なものか、判断しづらい。また体裁を整えることで、ふつうの会社になってしまうのも哀しい。現在のよい部分は残すべきだと思う。

──設立して7年目。
個人的には、今のままでよいと思っている。しかし関係者(従業員や取引先など)のことを考えると、そうも言っていられない。会社が公共性を帯びてきたのかもしれない。
このギャップには、ずいぶん悩まされている。
次のステップに進むと決心したけど、まだ自分の中に迷いが残っていることがわかる。いささか情けない。

名を捨てて、実を取った私が、「名実ともに経営者」と呼ばれるようになる日はまだ遠い。
しかし、ものすごく遠いわけではないと確信している。

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