ヒラ社長

2005年 政治・経済
ヒラ社長

先々月あたりから、身近な人のアクセスがほとんどなくなった。
つまりこの日記を読んでいるのは、実際の私を知らない人ばかりということだ。そう思うと、なんだか自分の名前が恥ずかしくなってきた。

「ヒラ社長」という名前は、不細工な男が「イケメン」と名乗っているようなもんだ。
このへんのニュアンスを伝えておきたい。

「ヒラ社長」という名前には意味もあるし、思い入れもある。
そもそも最初に私を「ヒラ社長」と呼んだのは、取引先の部長さんだった。

「起業したからといって、いい気になるな! おまえなんかヒラ社長だ!」

(零細企業の社長より、大企業の部長であるオレの方が偉いんだッ!)
……と言いたかったらしい。
なんとも子供じみた話だが、事実その通りだった。私にとって、その部長さんはお客さまであり、サービスする相手なのだ。あえて言われるまでもない。
しかし、「ヒラ社長」というコトバの響きは妙に気に入ってしまった。

もとより、社長=偉い人 などという発想はない。
なにかの本で読んだが、日本には500万人の社長がいるそうだ。500万人からなる社長ピラミッドにおいては、私などは最下級の最下級。まさしく「ヒラ」社長であろう
(なぁに。これから中級、上級社長になっていくだけさ)
そう思えば、ヒラ社長という名前は小気味よく感じられた。

それに……もう1つ意味というか、願いもある。
私は、すべての人は独立起業すべしと考えている。みんながみんな「ヒラ社長」になるべきだ。いや、「なる」のではなく、「気づく」といった方がいい。
自分の人生においては、誰もがみな「社長」なのだから

社長だからといって、なんでも自由になるわけじゃない。
置かれている状況は、みんなとそう変わりはない
いろいろ難しい状況の中で、自分なりに考えて、ヤリクリしているだけだ。

  自分の判断に自信が持てず、悶々と苦しむ夜もある。
  大言壮語をはきながら、大失敗を演じたときもある。
  自分はまちがっていないのに、屈辱的に頭を下げたこともある。
  自分がまちがっているのに、相手を責めたこともある。
  親しい人を落胆させ、見捨てられたこともある。
  嘘はつかないが、真実を伏せていたこともある。

置かれている状況は、みんなとそう変わりはない。
いろいろ難しい状況の中で、自分なりに考えて、ヤリクリしているだけだ。

ゆえに、私は「ヒラ社長」と名乗っている。
……というわけさ。

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