効率的な人生?

2005年 哲学
効率的な人生?

ちょっと前に、S氏について書いた。

S氏はまとまった資産をゲットできたので、セミリタイアした。しかし打ち込めるものがないため、ヒマをもてあましている。この夜、S氏と話した内容はけっこう奥が深い。

S氏はこう言った。
「ボクはね、なんでも効率重視なんです。
 最小の手数で最大の効果ですよ!」

たとえばこんな感じだ。
S氏は大学に行きたかったが、受験はしたくない。さいわい附属高校だったので、推薦枠をとれればOKだ。では、どうすれば効率的に推薦枠をとれるだろう?
まず、文学部演劇科(夜間)を選んだ。ここは倍率が低いので楽ちんだ。もちろん、演劇が好きなわけではない。
そして、美術を専攻した。結局は総合点で評価される。数学や国語で高い点は取れないけれど、美術ならなんとかなる。もちろん、美術が好きなわけではない。

こんな調子でS氏は進学した。その後もずっと効率重視だったらしい。
(いかに手を動かさず、汗をかかず、楽して目的を果たせるか?)
それがすべてだった。

しかしセミリタイアした今では、効率化させるものがない。
すでにもう、なにもしなくていいからだ。
出歩けば出歩くだけ、主義に反してしまうというわけだ

私もまた、効率重視で生きてきた。
しかし、S氏とはちがった道を進んでいると思う。
S氏にも言われたことだが、私の主義は、
最大の手数で莫大な効果である。

たとえば、8時間で1万円を稼げたとする。
効率化によって、1時間で1万円を稼げるようになったら、残り7時間は遊ぶだろうか? 私なら8時間を働いて、8万円を稼ぐだろう。いや、1日15時間ずつ、土日も働いて、さらに稼ぐだろう。
効率は重視する。しかし、自分にできることは惜しまない
すべてを出し尽くすからこそ、効率化するのだ。これはなにも、お金の話だけじゃない。趣味だって、人付き合いだって、恋愛だって同じではないだろうか?

私は、S氏のことはキライじゃないが、共感できない。そして、仕事人間である私にも、共感できない人は多い。
なにが正しいかはわからない。
だけど、生きるということは、効率だけでは計れないと思う。
そう……信じたい。

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