コンテクストの魔女

2005年 社会
コンテクストの魔女

コンテンツ(内容)とコンテクスト(文脈)という考えがある。

たとえば、1,000文字のショートショートがコンテンツなら、これを、タロットの暗示で揃えようとか、挿絵を添えて読みやすくしようといった工夫はコンテクストになる。
※コトバの解釈に誤解があればご指摘ください。

コンテンツとコンテクストは、明瞭に区分できない。
1,000文字にまとめた方が読みやすいという枠組みもまた、コンテクストと言える。コンテンツ(内容)とメディア(媒体)は区分されたが、コンテクスト(文脈)の区分はまだはじまったばかりだ。

私はどうやら、コンテクストに引き寄せられる性質らしい
文章を書くときも、どう読まれるかを強く意識している。文字数、改行、用語、用法、区切り、使用する色や飾り、写真、ナンバリング、発表する順序……。コンテンツの魅力を最大限に引き出しつつ、シリーズ全体としての統一感を失わないよう配慮する。
イヤになるほど仕事のような日記だ。

私はもともとライターだった。
通販カタログのコピーなどを書いていた。しかしコピーを書けば、その配置や強調の度合いを知りたくなる。文章と紙面を切り離して考えることはできない。気がつくと、私はデザイナーを兼業していた。そして、取材から執筆、レイアウト、デザイン、入稿、請求書の発行までをやるようになっていた。

そして……いまは会社を経営している。
これもある意味、コンテクストと言える。「いい仕事をする」というコンテンツを宣伝して、売って、お金や資産に変える仕組みだからだ。

コンテンツとコンテクストは、明瞭には区分できない。
片方だけで存在することはありえない。
しかし自分はどちら側かと考えてみるのはオモシロイかもしれない。

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