なんでもいい人

2005年 社会
なんでもいい人

世の中には、自分の意見を言わない人がいる。

たとえば昼飯時に、「なにか食べたいものがある?」と尋ねると、「なんでもいいです」と答える。本当になんでもいい人も多いなかで、ごくわずかだが、自分の意見を押し殺している人も混じっている

「じゃ、中華にすっか」と決めて、食べに行く。
数日後、じつは中華が苦手であったことを知らされる。本当は行きたくなかったけど、みんなの意見を尊重したという。
(そりゃないよ、セニョリータ……)
私は暗ーい気持ちになる。

なぜ自分の意見を言わないのか?
自分の意見で物事が決定したときに、責任がとれないという
たとえばこうだ。
(決めたお店が美味しくなかったらどうしよう……)
(私の意見で、無理する人が出るかもしれない……)
(もしかしたら、あのお店は定休日かも……)
(お店に行く途中で、隕石に命中して誰かが死ぬかもしれない……)

みんなの決定に自分を介在させないために、わずかな意見も言わないように注意しているようだ。たとえば、「今日は暑いね」といえば、「じゃ、お弁当にしようか」という流れになるかもしれない。しかし、弁当屋が閉まっている可能性もある。そうなったら申し訳ない
だから、なにも言わない。
みんなの自由意志を果てしなく尊重しようとする。
(そりゃないよ、セニョリータ……)
私は暗ーい気持ちになる。

協調性は、自分を殺すことじゃない。また、その逆でもない。
ここを勘違いしている人ほど、
(あたしは言いたいことも言わず、みんなのために我慢しているのに……)
と錯覚する。
我慢に価値などない。
何ポイント集めても、特典はもらえないぜ。

過去に、決定することがトラウマになるような事件があったのかもしれない。あるいは、単純に私がキライなのかもしれない。
詳しい事情は知らないが、こーゆー状況になると思ってしまう。

独りの方が気軽だな、と。

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