オタク世界の半端者

2005年 娯楽
オタク世界の半端者

私はヤマトに触発され、ガンダムに育てられ、OVAで思春期を過ごした世代である。

「漫画を読むと馬鹿になる」と怒られても、自分に嘘はつけなかった。リアルロボットが流行してからは、教科書そっちのけで、設定資料を精読した。
しかし熱中すればするほど、「変わった人」と見られるようになる。なので自然と、話がわかる仲間たちと集まることが多くなった

そんな私たちのことを、世間的には「おたく」と呼ぶらしい。
「マニア」ではなく、「おたく」という言葉の響きに戸惑っていたのも束の間、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生(1989年:18歳)。猛烈なバッシングがはじまる。

だが、私の先輩や友人たちは、決して道を改めようとはしなかった
自分たちが世間的には認められない日陰者だと自覚しつつも、こっそり胸を張った。ある友人は言った。

「病気はなおすか、突き抜けるしかないッ!」

そこには、奇妙な団結心があった。
マイノリティゆえの連帯感。マナーを守り、自分を律し、世間の耳目を集めないよう、密かに趣味にふける男たち。自分の主義に殉じようとする生き様は、むしろ立派に見えた
そんな地道な活動が功を奏したのか、やがて「おたく」は「オタク」として、その存在を認められるようになる。

そのころ私は、社会で喰っていけない現実に直面していた。
そして私は、みずからのオタク活動を封印して、仕事オタクへと変貌するわけだが、このあたりのことはすでに述べた。

30代になって周囲を見渡すと、オタクは市民権を得ていた。
「現代視覚文化」や「萌え」と称され、政府にも認められるマーケットになっていた。会社の同僚たちも、オタクであることを気軽にカミングアウトする。

なんだそりゃ?
オタクってのは、もっと苛烈で、孤高な生き方ではなかったか?

私は、オタク戦線から脱落した男だ。
最後まで戦い抜くことができなかった。それゆえ、戦線に残ったオタクたちを尊敬していた。だが、なにかが違うぞ。
今のオタク文化は素晴らしい。クオリティの高いものが、安価に手にはいる。まるで楽園に紛れ込んだようだ。それなのに、なぜか溶け込めない。
そう思うのは、私が途中で逃げ出した半端者だからなのか?
息を止めている間に、海がなくなってしまったような気分だ。

私より上の世代は、完全に割り切っている。
私より下の世代は、そもそも悩みがない。

この気持ちは、この世代特有のものなのだろうか?
だれか、教えてほしい。

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