交わらぬもの
2005年 哲学市民活動に関する私の考えをまとめておきたい。具体的には、友人Hのコトバをみんなに伝えたい。いささか長くなるので、2部構成にした。あと2本なので、どうか最後までお付き合いいただきたい。
Hは、私にとって大恩ある人物だ。
フリーターだった私に、広告代理店の仕事を紹介してくれたのも彼だった。彼がいなければ、私は世の中に出ていけなかっただろう。Hは私を救ってくれた。この恩は、いつか返したいと思っていた。
◎
──3年ほど前、我が社は人材管理に悩まされていた。
スタッフが増えて、神経が届かなくなってきたのだ。私はもともと技術屋だし、カリスマ性もない。人材管理なんて不得手もいいところだ。
だがこの問題を解決せずに、次のステップに進めるはずもなかった。
私はHを、取締役としてスカウトすることにした。
Hにはリーダーシップがある。私には聞き取れない“声”を察知して、度量ある判断をしてくれるだろう。Hが参加してくれれば、我が社はもっと遠くまで行けるはずだ。
私はHに連絡して、呑むことになった。
その席で、日記に書いたような話が出たわけである。
◎
「団体職員は、熱意はあれども、効率の追求は苦手だ。
だからさ……
だから、ヒラ社長のような経営センスをもった人材が必要なんだ。
力を貸してくれないか?」
逆に、私の方が誘われてしまった。
……私は考えた。福祉ビジネスへも検討した。
※私の仕事は、複雑な作業を分解・整理して、スキルの要求水準を下げることだ。究極的には、身障者の方々の雇用を創出できるかもしれない。日々、和紙や竹細工を作って暮らしている身障者の方々。IT技術を使えば、これを効率化できる。
それは決して、絵空事ではなかった。
だが私は、断ってしまった。
私には熱意がない。
効率を追求する知恵はあっても、弱者を救うことに興味はない。募金も寄付もキライだ。そんな私が参加すべきではない。
いや……率直に言おう。
私は、お金にならないことはやりたくないのだ。
……ほんとうに申し訳なかった。
恩を返したいと言いながら、現実はこんなもんだ。
◎
熱意だけではどうにもならないH。
熱意だけはどうにもならない私。
交わりそうで交わらない、2つの世界。
善行をなしつつ利益を上げることは、決して不可能ではない。だが、私は怖れた。効率化も最適化もできない、善意というエネルギーを。
あのチカラは……私の手にあまる。
私に扱えるのは、欲望というエネルギーだけなのだ。
私が恐縮していると、Hはこう言ってくれた。
(つづく)