所有中毒

2005年 娯楽 物欲
所有中毒

──昨日、LDのことを書いた。
すると、事情を知る友人からメッセージが届いた。
要約すると、こんな意味になる。

「LDボックス3個くらいで、ガタガタ言うな!
 世の中には、もっと多くの再生不可能メディアを買い込んだ、
 可哀想な人たちがたくさんいるんだッ!」

......そのとおりでござる。

私は娯楽に金をかけない男だ
まったくゼロではないが、少ない部類に入るだろう。たとえば、私がこれまでに買ったCDは10枚に達しない。
こんな私に、時代の変化を嘆く資格はないのかもしれない。

それはそれとして、後先考えずジャンジャン買えちゃう人はスゴイと思う。
  TVを録画して、
  劇場に足を運び、
  レンタルして、
  ダビングして、
  ビデオを買って、
  LDを買って、
  DVDを買って、
  5.1chリマスター版を買って......。
その時代ごとの「永久保存版」「パーフェクトコレクション」を集めている。
同じ作品を何回買えば気が済むのか?

しかしそれを指摘したところで、どうにもならぬ。
彼らも、それが"うたかたの夢"であることは、百も承知だ
「○×が出た以上、目を背けて生きてゆくことはできぬ!」
そこには、運命を受け入れた男の矜恃がうかがえる。

所有欲とは、一種の中毒ではないだろうか。
対象物そのものではなく、自分のモノにしたという興奮を買っているのだ。ゆえに実質的な価値よりも、「価値のあるモノを買った」「買っちゃった」という認識の方が大きな意味をもつ。

それが間違いだとか、愚かだと言うつもりはない。むしろ、徹底的な中毒者を見ると、畏敬の念を禁じ得ない。
欲を捨てるのが悟りなら、欲に殉じるのもまた悟りだと思う


莊嚴淸淨句是菩薩位
ものを飾って喜ぶのも、清らかなる菩薩の境地である。

『理趣経・十七清浄句』