所有中毒
2005年 娯楽 物欲──昨日、LDのことを書いた。
すると、事情を知る友人からメッセージが届いた。
要約すると、こんな意味になる。
「LDボックス3個くらいで、ガタガタ言うな!
世の中には、もっと多くの再生不可能メディアを買い込んだ、
可哀想な人たちがたくさんいるんだッ!」
......そのとおりでござる。
◎
私は娯楽に金をかけない男だ。
まったくゼロではないが、少ない部類に入るだろう。たとえば、私がこれまでに買ったCDは10枚に達しない。
こんな私に、時代の変化を嘆く資格はないのかもしれない。
それはそれとして、後先考えずジャンジャン買えちゃう人はスゴイと思う。
TVを録画して、
劇場に足を運び、
レンタルして、
ダビングして、
ビデオを買って、
LDを買って、
DVDを買って、
5.1chリマスター版を買って......。
その時代ごとの「永久保存版」「パーフェクトコレクション」を集めている。
同じ作品を何回買えば気が済むのか?
しかしそれを指摘したところで、どうにもならぬ。
彼らも、それが"うたかたの夢"であることは、百も承知だ。
「○×が出た以上、目を背けて生きてゆくことはできぬ!」
そこには、運命を受け入れた男の矜恃がうかがえる。
◎
所有欲とは、一種の中毒ではないだろうか。
対象物そのものではなく、自分のモノにしたという興奮を買っているのだ。ゆえに実質的な価値よりも、「価値のあるモノを買った」「買っちゃった」という認識の方が大きな意味をもつ。
それが間違いだとか、愚かだと言うつもりはない。むしろ、徹底的な中毒者を見ると、畏敬の念を禁じ得ない。
欲を捨てるのが悟りなら、欲に殉じるのもまた悟りだと思う。
莊嚴淸淨句是菩薩位
ものを飾って喜ぶのも、清らかなる菩薩の境地である。『理趣経・十七清浄句』