ラブコメアイ
2006年 哲学 考え事とある掲示板に、こんな書き込みがあった。
1. ツンデレって、いつからあるんだ?
2. ツンデレは昔からそこにあった
ただおまいらが気付かなかっただけだ。
──けだし名言だと思う。
ツンデレは、この数年で発生したものじゃない。その風習はずっと以前から存在していたが、最近になって名付けられ、広く認知されるようになっただけだ。
つまり、観測者の変化によって「見えるようになった」と言える。
◎
昨日の日記で、ツンデレと天然は相反する属性ではないと語った。
どちらにも「内面の純真さ」があり、それゆえにかわいいのだ。
しかし他人の内面なんか、わかるものだろうか?
ハッキリいえば、わかるはずがない。
わかっていると思いこんでいるだけだ。
ということは、思いこみさえあれば、だれでも、なんでも、かわいく見えることになる。
ツンデレ娘や天然娘を探すまでもない。
自分の「目」を変えれば、毎日がラブコメになる。
たとえば、こんな感じだ。
本気で嫌われているのに、「ツンデレなんだなぁ」と思ったり、
本気で無視されているのに、「この娘は天然なんだなぁ」と微笑んだり、
本気でやる気がないのに、「ドジっ子ちゃん♪」と許容したり……。
いうなれば、《ラブコメアイ》だ。
《ラブコメアイ》を装着した人は無敵だ。周囲から見ると滑稽かもしれないが、本人はハッピーな人生を歩めるだろう。
正直いえば、かなりうらやましい。
他人の内面は絶対にわからない。
ならば、都合よく解釈できる人の方が、確実に幸せになれるのだから。