見える/見えない
2006年 哲学 考え事町の住人が、みんなゾンビになってしまった! さぁ、どうする?
私なら、戦う!
日本刀とライフルを装備して、斬って、撃って、倒しまくる。
喰われてたまるか。ゾンビになるなんて、まっぴらゴメンだ!
ところが、戦わない人もいる。
ゾンビのふりして、一生過ごすつもりらしい。
あわれことに、自分がすでにゾンビであることに気づいてない。
ゾンビたちと一緒に、あー、うー、うなっているよ。
◎
戦うか、従うか。しかし世の中には、そのどちらでもない生き方もあるようだ。つまり、見えてない人たちだ。
空気が読めないというか、興味がないものは目に入らないというか、そもそも住人がゾンビになったことに気づいていない。
だから平気で出歩けてしまう。ゾンビに囲まれても、
「ハイハイ、ごめんなさいよ。ちょっと通してくださいよ~」
と、かき分けていく。
「なんか混雑してて、疲れちゃった」
見えてないので、不快感もないようだ。
不思議なことに、ゾンビたちも襲ってこない。
逃げる相手は追いかけて、立ち向かってくる相手にはからみつくのに、自分を無視する相手には手が出せないらしい。
そんな隠しルールがあるとは知らなかった。
(空気が読めないことは、1つのアドバンテージなんだなぁ)
と感心した次第である。
◎
しかしその人はこう言う。
「空気が読めてないのはどっち?」
──どういう意味だろう?
もしかして……私が倒していた相手は……。