虎は死して皮を残し、人は死して名を残す
2006年 哲学 考え事ウォーキングに行くはずが雨だったので、きのうの日記の続きを書く。
高校生活の終わりごろ、私は親父の書斎に呼び出された。
進路相談の話だった。
あれこれ尋問されると思っていたが、逆に親父の方が、自分の高校時代の話をはじめた。
それによると親父は、建築の仕事にあこがれていたらしい。
「建築物ってのは、自分が死んだあとも残るだろ。
何世代にも渡って人々の暮らしを助け、国を豊かにする。
そんな仕事をしたいと思っていたんだが……」
しかし高校のころ('60年代)、先輩にこう諭されたらしい。
「馬鹿だな。今どきの建物はそんな長持ちしないよ。
明日から着工するマンションだって、おまえより先に老朽化する。
建物より人間の方が長生きなんだ」
その先輩の意見も偏っているとは思うものの、結果として親父は、ふつうのサラリーマンになる道を選んだ。自分の選択に悔いはないが、息子が高校生になったのを見て、ふと当時のことを思い出したらしい。
結局、進路の話はそれで終わりだった。
◎
親父は、悔いているのかもしれない。そして私に、なにかを残せる人生を歩め、と暗に示しているのかも。私はそう思った──。
虎は死して皮を残し、人は死して名を残す
しかし多くの人は、名も皮も残さずに去っていく。もし未来に残せるものがあるとすれば……子ども。親父にとっては、私なのだ。
◎
で、私がどう判断し、どうなったかは、また別の話。
余談だが、私の弟は橋を架ける仕事をしている。